今、何かに真剣に取り組んでいる人は多いだろう。ではなぜ、その対象に真剣に取り組むのか?
「好きこそものの上手なれ」と言う言葉があるように、楽しんで物事に取り組むことは非常に大切だ。そして人によっては、楽しむ事が一番の目的だと言う人も多いだろう。それも非常に素晴らしい事である。物事を極めて行くと、どんどん楽しくなる。その対象を理解し上手くできるようになれば、どんどん楽しくなる。ある意味、楽しさを感じると言う事は一つの到達点だと言えるかもしれない。
しかし物事を極めて行くと、その「楽しい」の先がある事に気が付く。スポーツに関しても学問に関しても、二流と一流の違いは、その先に気付くことではないかと僕は思っている。オリンピックで金メダルを取った選手が「非常に楽しめました」と言う事がよくある。その言葉は本当であろう。しかし、その金メダリストは、確実に「楽しいの先」を見通している。楽しいの先を見通しているからこそ、単に「楽しい」だけでは終わらせず、そのさらに上を目指せるのだ。テレビで金メダリストが言う「楽しめました」と言う言葉を聞いて、頂点に立つためには楽しむ事が全てだと勘違いする人がいるが、楽しむ事は必要条件であって、十分条件ではない。
では、「楽しい」の先とは何か?これは非常に難しい問題である。しかし一つ言えることは、本質を見ることに関係していると言う事である。本質を理解することは最大の喜びであり、また「楽しい」以上の快感である。しかし簡単には本質は理解できない。やはりかなりの修業を積まなければならない。そのような修業は決して楽なものではない。もしかしたら楽しくも何でもないこともあるかもしれない。しかし嫌ではないのだ。進んでそのような状況に身を置こうとしてしまう。なぜそのような状況にわざわざ身を置こうとするのか?それは「楽しい」の先を見ているからだ。「楽しい」の先とは何か?これは誰かが教える事ではなく、自分で気付くことだ。そして自力でそれを見通すしかない。
しかし初めは、楽しむという事が非常に重要だ。スポーツや学問を始めた子供なら、楽しむ事以上に重要な事はない。しかしそれを真剣に究めようと思うのならば、「楽しい」の先に気付くことは避けられないと思う。それに気付けば、あとはそこにたどり着くまでのビジョンを基に細部を詰めて行くだけだ。