「記憶」か?「思考」か?

記憶が良くて、思考も深い。これが一番理想かもしれないが、僕は記憶力が悪い。短期的記憶も長期的記憶も、どちらもかなり良くない方だ。しかし、記憶力が悪ければ思考でカバーすればよい。確かに記憶力が悪いことはかなり不便ではあるが、致命的ではない。しかしこの逆に、記憶力は良いが思考ができないとなると、数学や物理においては致命的だ。いや、記憶力が悪いだけでもかなり致命的かもしれない。しかし、思考力で何とかカバーしている。

世の中を見ていると、記憶力でものを言わしている人はかなり多いように見受けられる。しかし思考力でものを言わしている人にはほとんど出会わない。そもそも思考力があれば、ものを言わすという発想自体不必要なのかもしれない。「ものを言わす」という言葉は、自分の実力以上の威厳で押さえつけるという意味合いがある。しかし、思考力自体がその人自身の実力だと言える。だからものを言わす必要がないのだ。

数学を記憶力だけで進めることができるのか?確かに高校数学くらいなら記憶力でかなりカバーできる。いや、大学数学だってカバーできる。いや、既存の理論を理解するくらいなら記憶力で乗り越えられるかもしれない。しかし、新たな理論を作るとなると話は別だ。新しい理論の構築は、99%思考に依存している。だから思考力なしで理論の構築はできない、しかし記憶力があれば非常に便利だ。それは僕もひしひしと感じる。しかし記憶力が悪ければ、それはそれでよい。むしろ、記憶力が悪いからこそ思考の方に頭を使おうと努力できる。

最近、生物学に興味があり、ちょっとした生物学書を読むことが多い。とは言え、生物学の専門家でない僕の取り組みなど大したことはない。しかし生物学の論文くらいは読みたいものである。少し前、山中伸弥教授のiPS細胞の原論文に目を通したが、やはり専門用語などが分かり辛い。特に、遺伝子などの様々な名称が理解できなかったりする。生物学は昔から暗記の割合が大きい学問だと言われている。しかし現在の生物学はかなり論理的、化学的、物理学的になり、思考の割合が増えているように思える。博物学的な側面が強かった時代から見れば隔世的だ。しかし最低限の記憶は必要だ。記憶力の悪い僕が、副々専攻としての生物学をどこまで究められるか?これはある意味一つのちょっとした挑戦だと思っている。

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