何に対しても100%の安全を求める人は多い。しかし、あえて1%の危険性を残すことが重要である。
この1%(実際は0.01%かもしれないが)の危険性をどう捉えるか?この1%の危険性を克服すると全てが幸せになるように思えるが、実際はそうはならない。この1%を解消することにおける代償は大きい。その代償とは何か?それは金銭的な事であったり、人間に対する自由であったりする。特に近年はこの自由に対する代償は深刻な問題であると僕は考えている。
100%の安全を達成するためには、徹底的な管理が必要である。その管理は元はと言えば物事に対する管理であったかもしれないが、それが巡り巡って人間への徹底的な管理になる。そのような管理をあらゆるところに求めてしまえば、その先にあるのは監視社会である。
もちろん一定の管理は必要かもしれない。経済でも自由貿易だと言っても一定のルールは必要だ。最低限のルールがない社会は無法地帯でしかない。しかし重要なのは“最低限”のルールであって、“過度”なルールは自由の束縛でしかない。
話しは初めに戻るが、最終的な1%の安全を保障するためには、多くの場合90%の自由が失われる。さらに金銭的な負担も莫大になるが、これらの事は物事を大局的に捉える事の重要性を示している。1%の安全性にこだわりそれだけしか見えなければ、それに関して相互作用的に動く物事が捉えられないのである。
僕は物事を行う時には、あえて1%の危険性を残すことを肝に銘じている。言い方を変えると、100%ではなく99%を目指すということである。もし1%の危険が起これば、そこは潔く諦めることにしている。しかしこの1%を諦めることによって手に入れるものの大きさは絶大であることを認識することが重要である。