僕は賢い生き方はしないと心がけている?バカな生き方をしようと思っている。ただ間違ってはならないのは、何も考えないでバカな生き方をするのと、考え抜いてバカな生き方をするのとは、意味が180度違うということである。バカな生き方をするのなら、賢い生き方をするのより何倍も考え抜いて生きなければならない。
では、なぜバカな生き方をしようとするのか?それは「生きるために生きる」ということをしないためだ。生きる事には意味がある。その意味を常に考え抜かなければならない。自分の生きる意味は何か?何のために生きるのか?そのことを考えて実行することによって、生きることに哲学が生まれる。
確かにお金は大事だ。しかし最近社会で話題になるのは、老後資金を蓄えるとか、“賢い”貯蓄の仕方、そしていかに効率良く“賢く”お金を儲けるかだ。そのような“賢い”生き方は何をもたらすのか?もちろんそれによって人生が有意義に意味のあるものになるのであれば言うことはない。しかしそれらの“賢い”生き方が「生命の浪費」というだけになってはないだろうか?
人間が生きるとは多様性の追求だと言える。そうならば多様な意味、多様な可能性も求めるべきではないだろうか?そのためにたどり着いた一つの結果が「バカな生き方をする」ということである。
一般的に言われる“賢い”とは、決して“知的”という意味ではない。本当の知性とは、生きる意味を明確に認識して、その人生の意味を最大限に発揮するために生きるということである。そのような事を考えると、今の社会はあらゆる意味で迷走しているのではないだろうか?