自己表現をする時に、奇をてらう人は多い。例えばファッションにおいて個性を出すと言えば、大概の人は奇抜な物を身に付けることによって個性を出そうとする。確かに奇抜なものは目立ちやすいしわかりやすい。しかし奇抜なものによって安易に個性を出そうとするのは、僕は個性でも自己表現でも何でもないと思っている。奇をてらわないと表現できないのは、人間性のなさだ。
男性の基本的な服装はスーツだと思うが、スーツにおいて奇をてらうことは一番ナンセンスだと思う。スーツはネイビーかグレーのスタンダードスーツでいい。しかし不思議なことに同じネイビースーツを着ても様になる人とならない人がいる。ネイビースーツを着こなすためには自分の体というものを熟知していなければいけないし、長年着こなして様になるものである。
ファッションだけでなく、普段の振る舞い、そして学問に対する姿勢も同じである。スタンダードという基本を身に付け、それによって表現しなければならない。学問においては人のやらないことが大事だとよく言われる。それはもっともなことであり、人のやらないところからスタンダードを作っていかなければならない。人のやっていることはスタンダードではなく流行である。
スタンダードとは日本語で言うと「標準」ということであるが、実はスタンダードを極めることは非常に難しい。スタンダードを極め、次世代のスタンダードを作らなければならない。そしてスタンダードにおいて自己表現をするということは非常に難しいものである。そのような深い自己表現ができない人はすぐに奇をてらおうとする。人のやらない事、人のやらない手法で取り組むときは、それが後々スタンダードになりえるかということを考えなければならない。