プロとはなんだろうか?

プロとは何か?その答えは一つだけではないだろうし、人によっても様々だと思う。一般的な答えとしては「それによってお金を得ている人」と言うことではないだろうか。確かにそれはある意味間違っていないとは思うが、それでは対象が広すぎる。例えばプロ野球選手と一般会社員をただお金をもらっていると言うだけで同列に扱うのはおかしい。ではプロと言うものをどう定義すべきか?

僕にとってプロとはなにかと考えた時、確かにそれによってお金を得ていると言うことは非常に重要だと思う。では一般会社員の例とは逆に、全くお金を得ていなければプロではないのかと言うと、それはまた違うと思う。お金を得ているか?得ていないか?と考えた時、それは現在までの過去において、あるいは現時点でお金を得ているか?と言う問いになる。すなわちその答えには未来がごっそり抜け落ちている。例えば今まで二十年間それによって稼げなかったけど、来年それが実って一億円獲得したとする。それはある意味これまでに一年平均500万円稼いだのと同じになる。そう考えると、お金と言う観点は大事だが、ただ現時点だけの稼ぎだけを見て判断するのは早計だと思う。

では他にどのような観点があるか?まず意志・思想的な観点がある。どのような意思や思想を持って取り組んでいるか?これは非常に重要である。例えばプロ野球選手を目指している、あるいはプロ野球選手になるような人の意志はおそらく一般的な人間よりはるかに強固である。そしてもちろん覚悟も強い。何しろプロになれなかったら全てが無駄になる可能性もあるからだ。一般会社員がそこまで覚悟を持って生きているか?もちろん全ての会社員がとは言わない。覚悟を持って仕事をしている会社員ももちろんいる。しかし多くの一般会社員の覚悟はプロ野球選手には大きくかなわないと思う。逆にそこまで覚悟を持って仕事をしている会社員は、ある意味プロだと言える。

そして言うまでもないが、プロはトップレベルのスキルを持っている。プロ野球選手の野球スキルは、全ての野球選手のトップ0.0・・%であろう。まさしく桁違いである。高校野球で活躍した田中将大投手は世界のトップレベルまで上り詰めたが、田中将大投手に投げ勝って甲子園制覇を果たした斎藤佑樹投手はプロの世界では鳴かず飛ばずである。プロとはまさしくそう言うレベル、そう言う世界である。

科学者は科学のプロと言われている。果たしてそうであろうか?ポストを維持するために必ず出ることがわかるような(平均的な?)結果をコンスタントに出し続ける学者もいる。いや、そのような学者の方が多数派である。もちろんそれもプロとしての一つの形かもしれない。しかし僕の目指しているプロ科学者像はそんなものではない。もしかしたら僕のプロ観と言うものが一般のそれとは大きく違っているのかもしれない。僕のプロ観は一般のそれとはレベルも形も違う。僕はそのようなプロ観に基づいて登り続けて行こうと強く思っている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA