リスクを取ってでも、正しいことを貫く。

日本と言う国は法治国家だ。法治国家であるからには、国民は法に従うことが求められる。それは法治国家にとって大原則だ。しかし法と言えども全てが正しいとは限らない。なぜなら法を守るべき者が人間なら、法を作るのも人間だからだ。人間が作るからには時には間違いや欠陥もある。むしろそういうものが存在するのは当然だと言える。ではそのような法の間違いや欠陥に対してどのように向き合うべきか?

日本では「悪法も法のうち」と言う言葉がよく使われる。おそらくそのような事を言う人は、例え法がおかしくても無批判に法に従うのだと思う。そしておそらくそのような人たちは学生時代、教師と校則に従順に従っていたことであろう。確かにそれも一つの生き方である。それはその人なりに生み出した生き抜き方なのかもしれない。

しかし、間違っている事には間違っていると立ち向かう人がいないと世の中は良くならない。もし法が間違っていたりおかしかったりすれば、それを指摘する人が必用だ。しかしそれが難しいのは、そのような行為を取ることが時には非常にリスクを伴うことだ。それは現在の香港の状況を見るとよくわかる。中国政府の悪政に立ち向かっている人たちが大きな弾圧を受けている。そこまでではなくとも、正しいことを主張することには大なり小なりリスクを伴う。

僕自身は、自分が正しいと思ったことを貫き通さないと気が済まないたちだ。しかし時には自分の方が間違っていることもある。そのような時はやはり自分の非を認めないといけない。人間は決して神ではないので、誰だって間違いはある。しかしそれに立ち向かえるかどうかはその人の人間性が大きく表れるところだと思う。自分の生き方が譲れないのなら、覚悟を持ってそれを実行することが一人の人間として非常に大切だと強く感じるものである。

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