科学にそのような分類があるのかどうかは分からないが、僕は科学を一般科学と特殊科学に分類している。一般科学とは物理学のことで、そこから化学→地学→生物学の順に特殊性が増す。すなわち生物学は特殊科学の極致と言えるわけで、生物学とはその特殊性を解明する学問だと言える。それに対して物理学はその一般性を解明する学問だと言える。
では、生物学の特殊性は何を意味するのか?それは(もしかしたら)生物学が宇宙の中でも地球上でしか成り立たたないサイエンスかもしれないということである。つまり知的生物(宇宙人)は、宇宙の中でも地球上(つまり地球人)しかいない可能性があると言うことである。生物学が地球上を対象とした学問であるのに対して、物理学は宇宙のどこでも成り立つ普遍性がある。
現在、多くの科学者が地球外知的生物、つまり宇宙人を真剣に探索している。それはそれで良いが、そのような知的生物が誕生する条件として、地球と同じ気温であり、地球のように水が存在することが条件であると多くの科学者が述べている。しかし僕は、このような条件に固執するのはあまりにも視野が狭すぎるのではと常々思っている。地球外知的生物が宇宙のどこにでも存在するという普遍性を前提にしている割には、地球と同じような環境でないと存在しないと言う特殊性を前提にしている。僕は、知的生物ではない、そもそも生物ではない全く違う形態のものが存在するのではと考えている。地球に存在する生物はそのような様々ある形態の一形態に過ぎないと言う訳である。地球上の生物は極めて特殊である。特殊であるからには、違う形の特殊性もあっていいのではないだろうか。もちろん、原始生物レベルの形態で一致することはあり得るが、高等生物レベルで一致することはほぼあり得ないのではないか。
話は変わるが、仮に知的生物らしきものがいるとしてその“知的”と言う意味をどう定義するか?それは数学と物理学を理解していることだとすべきである。その理由は、数学と物理学が宇宙のどこでも成り立つ科学(一般性のある知的学問)であるからである。知的生物がいるとしたら、何万何十万という星に存在するはずである。それか全くいないかのどちらかである。宇宙人がいないという考えをする人は視野が狭いと思われているが、もしかしたら宇宙人がいると考える科学者の方が圧倒的に視野が狭いのかもしれない。そもそも科学者が宇宙人がいると言う根拠の方が全く軽薄なものと思えてならない。少なくとも、地球上の生物とは全く形態の違うものが存在することを想定する必要があるのではないだろうか。