人生の研究者。

イチローの引退から数日経ったが、今でもイチローの引退会見を思い出す。世界一の選手が日本人、そんな稀にも見ないような十数年のベースボール界だった。今、世界一になろうというスポーツ選手が何人かいる。フィギュアスケートの紀平梨花、卓球の張本智和と伊藤美誠、ジャンプの小林陵侑、そしてテニスの世界ランキング一位の大坂なおみ。一昔前までなら考えられなかったようなラッシュだ。

イチローは引退会見で、「野球の研究者」と言う言葉を使っていた。ここで言う研究者とは、おそらく哲学的な意味を追究すると言う意味であろう。イチローは野球に対して徹底的な研究者であった。そしてこのような哲学的追究の姿勢は、どの分野でも世界一を究めようとすると不可欠な要素だと思う。もちろん数学や科学を研究するに当たっても哲学的追求は必要だ。しかしスポーツ選手にしても学問研究者にしても、そこに気付いていない人は多い。しかし哲学から見えてくる科学とういうものもある。そこが見えないと各分野でのトップは狙えないと思う。

哲学と精神は密接な関係にある。健全な精神にしか哲学は宿らない。だからまずは健全な精神環境を作ることが大事だ。しかし現在は非常にストレスフルな時代だ。この様にストレスフルな環境だと健全な精神を構築するのは難しい。しかしそんなに簡単に環境を変えられるものではない。もちろん自分で変えられるところは変えて行かなければならないが、どうしようもない所は上手くそこを切り抜けて行かなければならない。非常に悩ましい問題である。

数学を研究すると言ったって、全ての人が数学を追究できる訳ではない。僕だって語学が非常に苦手なのでフランス文学を研究するなんてことはできない。しかし全ての人は人生の研究者になるべきだ。人生の意味、生き方、そして死に方など人間であるからには逃れられない全ての意味を追究し、人生を豊かにしていく。それができないと薄っぺらい人生になってしまう。決して良い生き方をすべきだという訳ではなくて、意味ある生き方をすべきなのである。僕は全ての人がこのような事を考えるべきだと思っているが、それは無理な願望なのだろうか。

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