現代では、人生100年とも言われるようになった。もし人生100年生きるとすると、僕はまだその半分も生きていないことになる。社会では、「人生100年に備えて」と言う合言葉的な事も言われている。もちろん、その100年間を有意義に発展的に生きて行ければ最高であろう。そこでもし僕がこれから人生100年に備えて今から準備するとどうなるのか?僕はどうしても守りに入ってしまうのではないかと思えてならない。だから僕は人生50年と意識して生きるようにしている。もしかしたら60年、70年生きるかもしれない。もしそうなればそれはそれで良い。しかし人生50年と言うことを肝に銘じて、その残り少ない時間に全力を挙げるべきではないかと僕は強く思っている。
僕自身、人生50年だと肝に銘じることによって得られるメリットは非常に大きい。これからの人生がまだまだ長いと思ってしまうと、どうしてもだらだらと時間を先延ばししてしまう。そして生物学的に生きることに気をとらわれ過ぎて、全てが守りに入り、時には保身につながってしまうのではないかと思うのである。もし人生があと数年ならば、全てを攻めることができる。もしダメだったらそれはその時である。僕が成し遂げようと思っていることは、守りに入ってはできない。超攻撃的人生を進めることが最低条件になる。
医療が発達して寿命が延びること自体は悪ではない。しかし一部の人にとっては、それは決して善でもないように思える。重要なのは長生きすることではなく「どう生きるか」である。そのためには、「自分は何のために生きるのか?」と言うことを強く意識しなければならない。そして、その自分の生きる意義を最大限に高めなければならない。そのような事を考えた結果、僕は人生50年と言う結論を導き出した。そのためには、毎年毎日が勝負であるという意識を持たなければならない。「今日も勝負、明日も勝負」と思って生きていきたいが、どうしても心と体がそこまでついていかない。筋トレして筋力を鍛えるのも良いが、基礎的体力をつけ、心に毛を生やし、強靭な精神力を付けていきたいものである。そしてそれは可能であると強く思っている。