今、強くなる途中。

人間のピークは人それぞれ違うと思う。若い頃にピークを迎える人もいれば、晩年になってピークを迎える人もいるだろう。もしプロ野球選手なら若い頃にピークを迎える可能性が高いし、政治家なら歳を取ってピークを迎える人が多いと思う。この様にいつピークを迎えるかと言う事は、これからの人生が上り坂か?下り坂か?と言う事に大きく関わってくる事だと思う。

現時点での人生の高さが人によって違っても、上り坂にいる人ならこれからどんどん上がって行くだろうし、下り坂にいる人ならズルズルと下がって行くだろう。しかしこれから下がって行く人でも、今までにやるべきことで高いピークを残したのなら納得している人も多いと思う。しかし、僕が一番悪いと思うパターンは、「受験生時代の自分が一番の絶頂だった」という人だ。これは「受験が重要すぎる問題」にも通じるところがある。受験は所詮受験に過ぎず、あくまで一通過点でしかない。しかし日本では(あるいは他国でもある程度似通った事情はあると思うが)、この一通過点の結果で人間の全てを判断してしまう傾向にある。それは、「数字を見て、人間を見ていない」と言える。例えば学問におけるレベルに関しては、常に取り組んでいる人にとっては人生を通じてレベルが上がって行くだろうけど、「受験生時代が絶頂だった」という人は、受験以来レベルが下がっていると言う事になる。

確かに受験勉強というものは意義があると思う。しかしそれが全てではない。人間性や学問力というものは非常に多様なものである。学問力という事に限っても、受験勉強というものはその一部でしか過ぎない。むしろ、受験が終わってから大学などでどれだけ学問に打ち込むかと言う事の方が圧倒的に重要である。しかしこのような事が日本ではなかなか認識されていない。それならば、自分が結果を出して示すしかない。

学問力というものは、人間の強さの一部であるが、それは使いようによってはかなり大きな部分になる。数学においても、ただ単に釣銭を計算するだけのものだったら微々たる一部分にすぎないが、人生そのものに組み込めばかなり大きな部分になる。そしてそのような事は数学だけではない。全ての学問は、人生そのものに組み込んでこそ有機的な働きをするのである。そのようにして人間は強くなっていく。僕は今、強くなって行く途中である。すなわち今は人生の上り坂、しかも急な坂にいるところだと思っている。そして僕の人生のピークは過去ではなく、未来にある。いや、そうしなければならない。

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