最近、自分が自分らしくないように感じることがよくあった。そこで何が自分らしくないのか?そしてその原因は何なのか?と問い詰めたところ、その原因が、他人からの評価を気にし過ぎていることであることに気が付いた。自分の独創性にこだわっているのに、他人の評価を気にしすぎるとは全くおかしな話である。
科学とは真理への追究である。もちろん、研究結果に対して周りや社会からの評価は気になるところではある。しかし、そのような評価はあくまでも付加的な要素でしかない。もちろん、工学系の技術分野では社会の評価は非常に重要な要素である。しかし理学的ないわゆる純粋科学では、そのような周りからの評価ではなくどこまで真理に迫れているかということが最も重要な要素である。だからこそ、宗教裁判で裁かれ社会から滅多打ちにされたガリレオ・ガリレイが、現在では最も大きな評価をされているのである。
他人からの評価の中で生きるとは、ある意味楽な生き方である。誤解のないように付け加えるが、もちろんそれは簡単であるという意味ではない。責任があらゆる範囲に分散されるという意味である。自分の信念に基づいて生きるとは、全ての責任を自分が負うということである。その重圧は非常に大きいように思えるが、自分が正しいと思う方向へ進んでいる時は、意外と重圧を感じないものだ。しかし冷静にリスクを考えると恐ろしくて進めなくなってしまう。
なぜ他人からの評価を気にし過ぎていたのかはよくわからない。しかしいつの間にか周りの評価を気にしていた自分がいた。しかしそのような状況は自分が望むことではないことは明らかだ。だから軌道修正、いや、大きく変換して元に戻す必要がある。しかしそれはそんなに難しくはないと自分では感じている。なぜなら自分で問題点に気づいており、意識をそちらへ向ければ良いだけだからだ。意外と明日には元に戻っているかもしれない。また自分が強くなりそうでワクワクしてきたぞ!