学校の教科書が「つまらなく退屈だ」と言う人は多い。そして面白おかしく知識を断片的に標語的に書かれている本が人気のようだ。そのような本が無意味なわけではなく、入門的な役割もあるので、入口に誘うという価値は大いにあるが、僕はそのような本だけで知識を仕入れることには大きな危険があると考えている。なぜなら、そのような本からは断片的な知識を習得することはできるが、体系的に知識を身に付けることは困難だと感じるからだ。では、体系的知識を身に付けるためにはどのような本を読めば良いか?それは教科書を読むことである。教科書こそ体系的知識の構築においては最強のツールなのである。
確かに教科書を退屈に思うのも分からないではない。教科書は面白おかしく書かれているわけではないし、標語的に書かれているわけでもない。しかし教科書の構成は非常に考え抜かれている。そして著者一覧を見れば分かるように、一流の学者が執筆に参加している。ある意味、初めの一冊として教科書を外すのは非常に大きな損失である。もし面白おかしく書かれた本を読みたければ、それはサブとして読むべきである。僕は教科書が退屈だとは思わないが。
では、なぜ体系的に知識を構築することが重要なのか?それは新たな知を構築するためには、それまでの知識の体系の上に新しい知識を乗せる必要があるからだ。そのような時、断片的知識だけでは使い物にならない。さらに新し知識の関係性も不明になる。そのような事は、数学の歴史を見れば明らかだ。なぜ現代数学が日本や中国などの東洋ではなく、ヨーロッパで発展したのか?それは「体系的に構築したかどうか」の一言に尽きる。江戸時代の和算は、技術的にはヨーロッパの数学をしのぐほど高度なものであったと言われる。しかしそれらの技術が断片的で、体系的な構築がなされなかったのである。それに対して、ヨーロッパの数学は徹底的に体系的である。そのような伝統が、フランスの数学者集団ブルバキのような構造主義を生み出したと考えられる。
もし本気で新しい分野に取り組みたいと思ったら、まずは教科書を読むべきだ。歴史なら高校の日本史・世界史の教科書を読めば良いし、科学ならこれも高校の物理・化学・生物・地学の教科書を読めば良い。そしてさらに先に進みたければ、大学レベルの教科書、そして専門書へと進めばよいのである。さらに先に行きたければ論文を読めば良い。なので、体系的知識習得の原点は高校レベルの教科書にある。僕もこれまで取り組んでこなかった専門外の分野に取り組む時は、まずは高校教科書に目を通す。最近なら、これまでほとんど立ち入ることのなかった世界史の教科書に取り組んだ。僕は教科書と言うものは知的に非常に面白いものだと思うのだが、どうだろうか?