信じる者は救われない。

宗教では、「信じる者は救われる」と言うキャッチフレーズがよく使われる。ではなぜ、そのようなキャッチコピーが使われるのか?それはそのこと以外に自分たちの意見を正当化する根拠がないからだ。だから何の検証もされないようなことを言いながら、信じることを迫るのである。

信じることが美しいと思っている人たちがいる。しかし僕に言わせれば、そのような何の根拠もないことを信じることは愚かであり、それこそ「信じる者は救われない」と言う可能性が非常に高い。とは言え、僕だって信頼すべき人を信じることは大いにあるし、大切な人、好きな人を信じることは大切だと思っている。しかし、宗教で言う「信じる者は救われる」と言うキャッチコピーには大きな危険が潜んでいる。それは「思考停止」である。そこには「信じること=考えない」と言う構図が存在する。しかし思考停止して救われるなんてことはほとんどあり得ない。自分の頭で考え抜いてどのような道に進むべきか?と言うことを導き出すことによって未来が切り開かれるのである。言い換えると「考える者は救われる」と言うことなのである。

信じるだけなら非常に楽だ。なぜなら考えることに全く労力を使わなくていいからだ。人(神?)の言うことに無批判に従っていればいいだけだ。そうなれば、自分はもう人間ではない。神の下僕である。下僕になりたければ大いに信じればよい。しかし自分が人間として生きたければ、徹底的に考え抜いた方が良い。権威に反旗を翻しても良いし、思考停止した学校の教師に反抗するのも良い。とにかく一番信じなければならないのは自分自身なのである。

なぜ人は学歴を付けようとするのか?箔が付くからとか就職が有利になるからとか、いろいろ意見はあるだろう。しかし僕はそのような事は本質ではないと思っている。究極は考える力を身に付けるためだ。考える力を身に付ければ、自分の力で道を切り開いて行くことができる。確かにそれによってお金を得られる保証はないし、楽になるわけでは決してない。しかし僕はそれでいいと思っている。多くの人とは全く異なる考えかもしれないが、そのような生き方もあることくらいは頭の片隅にでも認識すべきではないか?

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