共産主義国家?日本。

日本は資本主義国家・民主主義国家である。少なくとも建前上はそうなっている。選挙は公平に行われるし、経済は資本主義の原則に則って行われる。確かに民主主義、資本主義である。

そして何より日本人・日本社会は公平・平等を最重視する。これはこれでいいことかもしれない。しかしそれも度が過ぎれば、共産主義的システムに傾く。最近の日本社会は、いや、昔からかもしれないが、このような共産主義的システム、共産主義的文化に傾いているのではないかと思うことが良くある。

日本の賃金は年功序列で横並びとよく言われる。最近は徐々に変わりつつあるが、これも日本の部分共産主義的側面ではないかと思う。しかしそれはまだいい。日本人全体の思考が過度な横並び思想になり、文化的に共産主義的になって来ているところが気になる。日本に旅行に来る中国人達の中には、「日本に来て本当の共産主義を見た」と言っている人も少なくないと言う。中国では思想の自由が制限され、とてもじゃないが自由主義とは言えないが、経済システム・社会システムはかなり自由主義・資本主義的になって来ている。もちろん、中国では思想の自由が確保されていないので、それに比べると日本はある程度思想の自由があると言え、一応自由主義国家であると言える。(ただし完全か?と言えば断言できない。)

日本は中国とは逆行して、システムがどんどん共産主義的になっているように思える。現政権を支持するかどうかはともかく、自民一強・安倍一強である。富める者は急速に富んで行き、才能や人間性が端に追いやられている。弱者を救うことは非常に良いが、現在のセーフティーネットが本当に弱者を救い切れているかどうかは疑問である。そしてそのようなセーフティーネットを食い物にするどうしようもない人たちがいる。多くの弱者達は、自分が弱者であるが故、声を上げる事さえできない。政府・自治体が能動的に弱者を救おうとしなければ弱者は救えない。しかし、政府・自治体はコストのかかるセーフティーネットの行使を極力避けようとしている。

現在は一部の人たちが大きな富を持ち、弱者とは言えない普通の人が多数おり、ある程度多数の弱者が悲鳴を上げている。しかし日本の共産主義的傾向が進行すると、それらの普通の人たちが“平等”に弱者になってしまう。ほぼ全員が弱者である国が弱者を救う事は出来ない。なので弱者が普通の生活が出来るようになり、普通の人がさらにより良い生活が出来るようにならなければならない。もちろん、現在の弱者と普通の人のレベルが逆転しても良い。現在の弱者が努力して大逆転するのも大いにありだ。むしろそのような事が可能な世の中にならなければならない。

日本と言う国は、どれだけ成果を挙げたかと言う事が評価される国ではなく、どれだけ失敗しないかと言う事によって評価される国だ。そのような国で、国民が積極的に挑戦しようとなるはずがない。しかし、世の中を変えることが出来るのは間違いなく挑戦者だ。そのためには、積極的に挑戦しようとする者の足を引っ張るようなシステムにすべきではないと強く思う。しかし現実は、何も行動しようとしない従順な人たちには都合よく、挑戦者からは挑戦権を剥奪しようとしている。そしてそれは、弱者を救えない社会システムと大きく関わってきている。なぜなら、挑戦権のない社会は、弱者の再チャレンジの権利さえも奪うことを意味しているからだ。

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