内面は外見を上回っていなければならない。

たまに「外見は関係ない」という人がいる。しかし僕はそれは違うと思っている。正確には「内面は外見を上回っていなければならない」ということだと僕は考えている。

僕自身、身なりなどの外見には気を使う方だと思う。外見にも結構高いハードルを掲げるように心がけている。(それがどれだけ実行できているかはともかく。)ではなぜ外見に高いハードルを掲げようとするのか?それは内面がその外見を上回るくらいに持っていくことを目指しているからだ。つまり外見に対する高いハードルは同時に、内面に対するそれ以上高いハードルでもあるのだ。

もし内面が外見を下回っていれば、それは単なる見かけ倒しであり、張りぼてである。それを防ぐためには二通りの方法しかない。一つは内面の低さを隠すために外見をそれ以上低くすること。もう一つは外見のハードルを上げ内面をそれ以上に高めることだ。

もちろん、外見が質素であっても素晴らし内面を持つ人はたくさんいる。しかし僕がこれまでに出会った「人間は内面だ」と口に出す人は、内面もほぼ例外なくみすぼらしかった。立派な内面を持つ人は「人間は内面で勝負だ」とは絶対に言わない。

外見が質素であることは全く悪いことではなく、むしろ素晴らしいことである。そのように質素な外見を貫くことは一つの強い信念であり、外見に向ける気力を内面に向け内面を磨くことは非常に素晴らしいことである。しかし人間が実世界で生きている以上、まず人間の目に飛び込んでくるのは外見であることは紛れもない事実である。なので外見を高めイメージ戦略を行うのは非常に意味のあることだ。まずは外見によって自分のイメージを相手に伝え、その上で内面をアピールすることができれば自分の魅了は二倍にも三倍にもなるのだと思う。

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