評価の仕方には大きく分けて加点法と減点法がある。それに伴って、加点法の世界で評価される人間と減点法の世界で評価される人間は全く違うと言っていい。どちらが良いかという話ではないかもしれないが、僕自身は加点法の世界で身を立てようと思っている人間であって、減点法の世界では全く生きることが出来ないと思っている。
減点法の世界の代表は、何と言っても公務員であろう。公務員の世界ではどれだけ失敗をしないかが評価の対象になる。キャリア官僚の世界の出世競争は熾烈だが、トップに君臨する事務次官がどのような実績を残したかわからない人がほとんどだ。極論を言うと、公務員に大きな実績は求められていない。どれだけそつなくこなすか?それが出来る人が公務員として有能な職員だと言えるだろう。
数学や理論物理の研究の世界は、圧倒的に加点法の世界だと僕は思っている。とは言え、研究ポストなどの選考では減点法が幅を利かせているようにも感じるが、研究者としての研究能力の評価は100%加点法だと思っている。ただ、加点法によって評価されようと思っているのならば、中途半端な成果では話にならない。圧倒的な成果を上げないと加点法によって圧倒的な評価を勝ち取ることはできない。平均的な研究レベルの研究者に対しては、むしろ減点法で評価されているように感じる。
加点法の一番の魅力は、ホームランが可能な事、再チャレンジが可能な事だ。減点法の世界にホームランも再チャレンジもない。しかし日本の社会は広く減点主義が取られているように感じる。大した実績がなくても、失敗をしない人が大きな顔をして道の真ん中を歩いている国だ。そのような現状を見て、大人から若者まで如何にして失敗しないで乗り切るかという事ばかり考えている。それは逆に言うと、大きな挑戦を全くしないという事である。もちろん、日本でも大きな挑戦に挑む若者は少なからずいる。しかしそれらの人は、その大きな実績を挙げるまで全く見向きもされないことが多い。支援もない。孤軍奮闘である。
日本において加点法で生きて行こうと思えば、相当の覚悟がいる。しかし加点法で生きて行こうと思っている人は、何とか苦しい中間地点を乗り切ってその先にある風景を目にしなければならない。それは生きるか死ぬかの究極の勝負である。しかし、そんな極限状況であっても、それが刺激的でやめられないのが加点法の世界でホームランを打とうと打ち込む挑戦的人間ではないだろうか?