哲学研究者に対しての疑問

昔から疑問というか、おかしいと思っていることがあります。

哲学者に対して、「専門は何ですか?」と聞くと、大概「カントです」みたいな過去の偉大な哲学者の名前をあげる人が多いのです。

そこで、そのような哲学者に聞きたい。

「あなたは、哲学じゃなくて、哲学者を研究しているのですか?」と。

「カントです」あるいは「ヘーゲルです」ていう人は、哲学者ではなくて「哲学者学者」というべきではないか。哲学者を研究している学者ではないかと。

実際、カントの理性批判の本の注釈解釈に力をつぎ込んでいる人が多い。

もしかしたら、哲学の世界では、独自の注釈を加えることが研究結果になるのかもしれない。

自然科学・数理をやっている側にすると、科学の世界では、新しい理論・発明をすることのみが研究結果になるのであって、他人の研究結果を繰り返しても結果にはならない。

現在の哲学の業界のことを知っているわけではないので何とも言えないが、昔の日本にも、「善の研究」の西田幾多郎、「倫理学」の和辻哲郎など、独創的壮大な哲学者がいた。

哲学者ではないが、「武士道」を英語で執筆し、日本の精神を世界に広めた新渡戸稲造などの功績は限りなく大きい。

このような、独創的哲学を構築していくような哲学者が日本から出てこないかと、強く願うばかりである。

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