僕は人と付き合うのが大好きだ。人と飲んだり話したり、様々な人と関わっていきたいと思っている。しかし僕は基本は一人でいることを好んでいる。人と群れるのは好きではないし、研究も一人で行っている。一人でできる理論系の研究と言うものが本当に性に合っていると強く感じている。なので普段は一人で行動し、その中で人との付き合いをすると言うのが僕のスタンスである。
世間では孤独死と言うものが問題になっている。しかし僕にはこれがなぜ問題なのか理解できない。一人で死のうが人に看取られようが死の苦しみは変わらないし、僕はむしろ一人で死ぬ方が気楽でいいとさえ思っている。死ぬ間際の事より、それまで生きている時代をいかに楽しむかと言うことの方が圧倒的に大事である。孤独死が問題になるのは、おそらく「孤独」と言うものに社会や多くの人がネガティブなイメージを持っていることが原因であると思われる。しかし僕はそもそも孤独と言うものがネガティブだとは全く思っておらず、むしろ一人で生きるたくましさがあると言うようなポジティブなイメージを持っている。なので孤独をネガティブに捉えるのは、人間としての弱さから来ているのだと僕は考えている。
孤独かどうかは、一人か否かだ。もちろん人間は一人では生きて行けない。なので人と交わって生きて行くことは必須である。しかしそれが度を過ぎると、協調性を強制するような世の中になってしまう。多くの人は自分が協調性のある人間だとアピールするが、僕にはそれが煩わしい。そして協調性はあるが、一人では何もできない人が現代の世の中には多すぎる。いわゆる指示待ち人間である。孤独を愛すると言うことは、主体的な人間であると言うことである。自分の頭で考え、自分の判断で行動できなければいけないと僕は思っている。
確かに僕は多くの人とは違う。良くも悪くも違う。でもそれでいいのだと僕は思っている。誰でも長所短所は併せ持っている。その内容が人とは違うだけだ。ただ僕が思うのは、そのような人との違いを許容できる社会になって欲しいと言うことである。でないと日本は均一な平凡な国になってしまうと僕は考えている。そしてその「平凡」とは「平均」ではない。そこにあるのは間違いなく平均以下である。