慎重と楽観。

僕は最近、慎重になりすぎることが多い。慎重になることは良いことだと思っている人も多いが、過度に慎重になってしまうと行動力が落ち、やるべきこともできなくなってしまう。なので、最近は意識をできるだけ楽観的な方に持っていこうとコントロールすることが多い。

しかし現在のコロナ対策を見ていると、世の中の人々は楽観的である以上に甘く考え過ぎているのではと感じることが多い。特にマスクもせずに外出することは、自分の感染だけでなく周りの感染も誘発してしまうので、自分の自由だと言う話では済まされない。それは殺人行為であり、殺人の自由など誰もないのだから。

コロナ問題もそうだが、重要なのは過度に恐れることではなく、「正しく恐れる」ことである。例えば細菌は自己増殖していくが、ウイルスは宿主(例えば人間の細胞内)でしか生きて行くことはできないし、もちろん増殖することもできない。人間の体内に侵入したコロナウイルスはかなりの速さで増殖していくであろうが、例えば段ボールに付着したコロナウイルスは24時間で感染力がなくなると言う。プラスチックやステンレスの表面であればもう少し長くなるが、それでも数日で感染力がなくなると言う。もちろんそのような時間を測定するのは専門機関でないとできないが、ウイルスの特性(宿主内でないと生きていけない)などは、生物学の基礎的知識があればかなり理解できることである。このコロナ禍において、正しくコロナの怖さを理解して生きて行くためには、やはりそのような教養が圧倒的に重要であることがわかる。もしそのような事を理解していなければ、いくら慎重になっても気が済まないであろう。

正しく理解して、正しく恐れることができれば、正しく楽観的にもなれる。そしてそのような正しい楽観に基づくことによって正確な判断を下せるようになり、自分の道を進んで行くことができる。現在はコロナ禍と言う非常時であるが、平時であれば8割楽観的に、2割慎重にと言うくらいがちょうどいいのではないだろうか。コロナにかかれば死のリスクもかなり高くなる。なので慎重になりすぎることはある程度理解できるが、平時であれば楽観的になって例え失敗しもまず死ぬことはなかろう。今は石橋を叩いて渡るべきだが、コロナ禍が去った後はまた楽観的に進んで行きたいものである。

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