放置して自由にさせることの大切さ。

現在の学校教育は至れり尽くせりだ。全ての事に対して手取り足取り指導して、大学では就職支援が充実している。そしてそのような事はほとんどの学生にとっては非常に力になっていることだと思う。このように書くとほとんどの人は「良い環境ではないか」と称賛するかもしれないが、僕はこのような至れり尽くせりの環境に危機感を感じている。

十人いれば九人は、手取り足取りの教育の恩恵を受けて大きく力を伸ばせるだろう。しかし十人中一人は、いや、百人中一人かもしれないが、放置され自由にされることによって大きく力を伸ばせる人がいることも事実だ。そして多くの場合、そのような人は社会から見放されている。

この放置されて伸びる人間は、手取り足取り指導されることによって逆に才能を抑え込まれることが多い。そして重要な事は、出る杭になる人間は、ほとんどそのような放置され延びる人間の方だと言うことだ。つまり、手取り足取り指導し社会に合わせることを強要することによって、出る杭は徹底的に打たれることになる。

これは指導的人物の大きな損失である。一昔前の日本は、一億総中流社会だと言われていた。そして今はそれが崩れ、中流でさえなくなってきている。方向性によっては、一億総上流社会にすることもできたはずだ。もちろんそのように物事が簡単に良くなると言うものでは決してない。しかし現在の日本社会の状況は世界的に見れば明らかに負け組だ。それでもある程度のレベルを保っているのは、過去の貯金を食いつぶしているからに他ならない。

では日本はどこで間違ったのか?それは出る杭を伸ばさなかったことである。一億総中流社会を強化しようと、教育を手厚くし過ぎたことによる弊害だと僕は考えている。教育を手厚くしたと言うとよく聞こえるが、手取り足取り指導することによって、放置し自由にされることによって出過ぎた杭になれる人間を押しつぶしたのである。小学校や中学校で面倒見が良いと言うのはまだ十分に理解できるが、最近は大学院でさえ手厚い保護的教育がなされている。これはもう狂気の沙汰である。

放置することも立派な教育であることを多くの人は理解しなければならない。出る杭になろうと言う人は、今は行き場がないのである。大学院で博士号を取得した人が行き場がなくなって自殺すると言う話もよく聞く。これには二つの理由がある。一つはそれまで手取り足取り指導したがゆえに自分で道を切り開くことができなかった人。そしてもう一つは自由にされなくて出る杭を叩かれた人。

今の日本は優等的リーダーはそこそこいるが、破天荒的リーダーがほぼ皆無だ。しかしあらゆる分野で、一人でもこのような破天荒的リーダーを輩出することが今は必要なのではないだろうか。そして破天荒的リーダーは間違いなく放置された出る杭から生まれるはずだ。

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