子供のころから「整理整頓をしなさい」とはよく言われたものだ。時には親から、時には学校の教師から。整理整頓はどこの国、いつの時代でも美徳だとされている。しかし僕には、そこまでして整理整頓を美徳にする必要はあるのかと常に疑問に思っている。ではなぜ整理整頓は美徳だとされているのか?いくつか理由はあるだろうが、一つは整理することによってどこに何があるのかすぐにわかる事(このことは後に触れる)。そして最大の理由は、見た目がきれいでスマートに見えることだと思う。しかし僕には所詮その程度の利点しかないと思っている。それどころか人によっては、整理整頓にこだわることは欠点にもなると思っている。
先ほど述べた「どこに何があるのかすぐわかる」と言うことに関しては、一見整理していないように見える人でも実は物の在りかはすべて把握している(人にもよるであろうが)。それどころか、散らかっている中にも自分なりの秩序があり、意外と効率的に散らかっていると言うことも大いにあり得るものだ。それは僕自身の経験でもそうである。しかし社会では、整理整頓ができないと仕事ができない人だと判断されることが多い。なので一つ実例を出そう。
僕が大学院時代、一人の付き合いのある研究者(I教授)がいた。そのI教授の部屋は結構散らかっており、机の上は書類(論文)の山でいったいどこで研究をしているのかと思うほどであった。しかしそのI教授は当時フィールズ賞(数学のノーベル賞と言われ、40歳以下と言う年齢制限がある)の有力候補と言われ、世界的な数学者なのである。もしI教授に整理整頓を強制するのならば、それはI教授を否定するに等しいと僕は考えている。
僕が整理整頓にこだわる人を見ていると、もちろん人それぞれだが、整理整頓をすることによって自分の才能のなさを覆い隠そうとしているようにしか思えない人もかなりいるように思える。そして自分のスタイルで取り組んでいる人に整理整頓を強制することは、その人の足を引っ張ることにもなり得ると僕は強く感じている。
要は整理整頓自体が重要なのではなく、整理整頓ができる余裕がありその方が仕事がはかどるのならばどんどん整理整頓をすればよい。しかし人にはそれぞれ自分のスタイルというものがあり、人によっては散らかっている方が仕事がはかどる人も少なくない。さらに言えば、整理整頓に過度に神経と時間をつぎ込むことは無駄である。世の中にはI教授のような人もいることを多くの人に知ってもらいたいものである。I教授の事例は決して例外ではないはずだ。