日大・アメフト問題の本質とは?

物事を冷静に俯瞰するのは難しい。現在進行中の日大・アメフト問題を見ていてつくづくそう感じる。僕自身も冷静に見ようと思っても、つい感情的になってしまう。

この日大・アメフト問題は、非常に悪質な問題(事件)だ。しかし事件の悪質さだけで言えば、世の中には傷害事件や殺人事件がそれなりの件数起きている。しかし現在の日大・アメフト問題はどの事件よりも大きな扱いを受けている。それはなぜか?

その理由は、この問題の争点が試合での傷害行為そのものではなく、日本大学という学校組織の体質がどうなのかということに移ったことにある。日本大学は言うまでもなく日本で一番学生数が多い超巨大組織である。しかしその超巨大組織のブランドが地に落ちてしまった。

その原因はいろいろ考えられるが。ここ数日の流れを見ているとそれは、自校の学生である加害者を守ろうとせずに切り捨てようとしていることにあるように思える。もしかしたら加害者をトカゲのしっぽ切りをすれば、自校(日本大学)を守れると考えているのかもしれない。しかし普通に考えて、自校の学生を守らずに切り捨てるような大学に行きたいと思う人はほとんどいないだろう。「傷害行為を起こした」ということ自体ではなく、「自校の学生を守らない」という行為が信用を著しく損なうことになったのだ。

初めにも述べたように、現在問題になっているのは、傷害行為そのものではなく、日本大学の体質に対してである。今回の一連の対応を見ていると、「アメフト部の行為が運悪く大学全体に波及した」というより、「アメフト部の問題を起点に起こるべくして起きた問題だ」と言える。

日本大学のブランドは「運悪く」ではなく、「起こるべくして」地に落ち、自らの首を絞めることになったと感じる。

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