本質を見抜いているから、本質的でない所をスルーできる。

当たり前のことだが、物事の本質を見抜くと言うことは非常に重要だ。世の中には物・事があふれている。もし自分一人でそれらの物・事を全て理解しようと思っても、とてもではないが人生千年あっても不可能だ。だからこそ自分にとって必要なもの、重要な事をピックアップして取り組むことが必用だ。

しかし、それらをピックアップする時に、もしかしたら重要ではない事を選んでしまうかもしれない。そのような事を防ぐためにも、物事の本質を見抜き重要な事を定めることが必用だ。そして本質を見抜くことができれば、本質的でないことをスルーすることができる。重要な事に取り組み、重要でないことをスルーすることは、気力と体力を効率的に発揮するためにも必要である。

もし人間の命が無限にあるのならば、手あたり次第何でもかんでも取り組めばよいが、残念ながら(と言うより僕は幸運な事だと思っているが)人間の命は有限である。そして人間は自分一人ではない。周りに沢山の人がいるからこそ、適材適所で自分のできない事苦手な事を周りの人に任せればよい。(僕はそのような事が苦手なので、何とか自分でしようとしてしまう。)

学問に取り組むと言うことは、本質を見抜く目を養うのに絶好だ。数学とは数的世界の本質を見抜く研究であるし、物理は自然(宇宙)の本質を見抜く研究である。経済学は社会の本質を見抜くものだと言えるし、哲学は人間の精神の本質を見つめる。おそらく、本質を見抜いている人と見抜けない人では、見えている世界が全く違うはずだ。人間としての視野を広げるためにも、本質を見抜く目を養うことは非常に重要である。

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