誰だって死にたくはないはずだ。しかし誰だって必ず死は訪れる。それが早いか遅いかというだけだ。そして死には二つある。「肉体の死」、そして「精神の死」だ。肉体の死は自分ではコントロールできない部分も多々ある。もちろん昨今は医療が非常に発達し、ちょっとやそっとでは死なないかもしれない。日本人の平均寿命も非常に高いレベルにある。なので普段はあまり(肉体の)死を意識することも少ないかもしれない。
問題は「精神の死」だ。精神の死はかなり自分でコントロールできる。しかし若くても精神が死んでいる人もいるし、年老いても精神が生き生きしている人もいる。何を持って精神の死と言うかは難しいが、精神が活発に生きているとはどういう事かとはいくつか言えることがある。一つは「挑戦し続けているか?」ということだ。全く挑戦することもなく保身の事ばかり考えている人は、完全に精神は死んでいる。人が100の窮地に立たされているのに、自分の1の利益を守るためにその人を助けない。そのような人はもう精神が死んでいるとさえ言えない。
その場では自分の利益を確保していると思っていても、人の犠牲の上に成り立つ利益は長く続かない。なぜなら周りの人はそれを見ているからだ。世間では「いかにリスクを取らずに利益を上げるか?」という事ばかり注視されいるが、ローリスクとは意外と割に合わないものだ。ローリスク・ローリターン、人生においてそれでいいと思う人はそれでいいが、人生とはリスクを取り続けて成長して行くものだと思う。すなわち、人生においてリスクを全く取らない人というのも精神が死んでいると言える。
精神的に生き続けて成長して行くためにも、絶対に肉体は死んではいけない。肉体的に生き続け、人間的にも成長し発展し続ける。死の直前まで精神的に発展し続ける人間になれるか?これは一人の人間として大きな挑戦だと思う。