昔から(一部の?)人間は、永遠の命を求め続けてきた。僕自身は永遠の命には全く興味がなく、むしろ寿命があるからこそ生きていることに大きな価値があると思っている。しかしそれとは別に、永遠の命というものが実現可能か?という問題に関しては大きな興味がある。
余談だが、昔読んだ手塚治虫の漫画「火の鳥」では、火の鳥の生血を飲むと永遠の命が手に入ると伝えられ、人々が火の鳥を追い求めるというストーリーが展開されている。そこで書かれている永遠の命を手に入れた人間の末路は悲惨で壮絶であった。もし本気で永遠の命を手に入れたいと思っている人がいるのならば、火の鳥を一読してもらいたいと思う。
永遠の命とは程遠いが、寿命を延ばすことに関しては人類は大きな成果を挙げてきた。そして2018年度のノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑博士らが開発したオプジーボは、一部の(全部ではないと強調されている)ガンを征服することに成功し、その延長戦上にガンの征服が見えてくるのかもしれない。しかし例え人間がガンを征服したとしても、それは病気の一つ(しかし最も大きな病気である)を征服したに過ぎず、永遠の命を人類が手に入れたとは全く言うことができない。
これまでは、仮に永遠の命を手に入れることがあるとすれば、それは医学の進歩の延長線上にあると考えられてきた。(もちろん僕はそのようなことは不可能ではないかと考えているが。)しかし近年の(ITを含む)科学技術の発展により、違う形で永遠の命というものが実現されるのではないかと思い始めた。そのきっかけは、一冊の本「脳の意識、機械の意識」(渡辺正峰著、中公新書)を読んだことだ。この本では、人間の意識を機械に移植するということが究極の目標だと書かれている。そして著者の渡辺博士はそのための基礎研究として「意識とは何か?」ということを科学的に研究されている。渡辺博士の研究は単なる思い付きによるものではなく、細胞レベルからマクロの人間レベルに至る地道な実験によるものである。
もし人間の意識を機械に移植できれば、人間は半永久的に生きることができると言えるのではないだろうか。現時点ではこのようなことが実現できるかどうかは不明である。しかし人間の脳は一種の自然コンピューターだと見なせ、人間が現実に存在するという事実からコンピューターを人間化することは原理的に可能であると言える。ただ、意識を科学的に解明するということはとてつもなく手ごわい問題であり、そのような基礎科学的問題の解明にどれだけ時間がかかるかもわからない。しかし科学的興味として、非常にエキサイティングな問題であることには間違いない。
永遠の命は医学ではなく、IT及びコンピューター技術(ともちろん生命科学)によりもたらされる可能性があるということを渡辺博士の著書では示唆されている。そのようなこれまでの常識を180度ひっくり返すような未来が来るのかどうか?興味があるが、それまで現在生きている人間が生きているのかどうかは分からない。