物事を極めるとは?

数学において、ある定理に他の定理を継ぎだして新しい定理を導き出すことがよくある。それぞれの定理についてはよく分かっているんだけど、それらを組み合わせると想像もできないような定理が導き出されるのである。その定理の継ぎ目はある意味ブラックボックスだと言える。少なくとも初めはそう思えてしまう。しかしそのような定理を駆使するにつれて、そのブラックボックスにイメージを見出せるようになる。そしてそれが明確にイメージ出来るようになると、そこからさらに次の定理を導き出せることになる。数学においては、対象に自分なりのイメージを描くことが非常に重要である。

数式は単なる計算過程ではない。数式そのものが持つ役割や、ある種の構造があり、そこを理解しないと次へは進めない。僕は音楽の訓練はほとんどやったことがないので、音符がほとんど読めない。しかしピアニストなどの音楽家は音符の羅列を読み取り、そこからある種のイメージを形作っているのではと思っている。きっと僕らには理解できない世界が広がっているのだろう。数学においては、専門外の人が見ればそれは数式の羅列にしか見えないのかもしれない。しかし数学者は、その数式の羅列からある種の構造やイメージを読み取り、自分の世界を形作って行く。そのような数学の中に広がる世界は、しばしば現実世界よりも豊かな景色を見せてくれる。そのような世界を見た後では、目で見える世界が些細な事に思えてくる。

数学や音楽に限らず、一つの世界を極めた人にはその人にしか見えない世界が広がるのではと僕は思っている。その世界を極め、そのような世界を見た後では、世界観も大きく変わるだろうし、すなわち生き方も変わる。ある意味、そのような世界を捉える事は、物事を極める大きな理由となる。しかし簡単にはそのような世界を捉えられない。時間と労力が必要なのだ。もちろん、そこまで打ち込むためには、面白くないと出来ない。しかしただ楽しむだけでは一線を超えることはできない。そのラインを超えるためには生みの苦しみがある。そしてそのラインを超えた時、新たな世界が見えてくるのである。

「なぜ自分は生きるのか?そしていかにして生きるべきか?」そのような捉えどころのない問いに対しても、一つの事を極めた人は明確に答えることが出来るであろう。とは言え、そのような問いに対する答えは一つではない。だから一つ答えが出た後になっても、「いかにして生きるべきか?」という問いかけを続ける。そのような事を続け、問題を明確化して行く。僕らが生きる表面世界のさらに奥の世界が見えた時、人間は次のステージに進めるのだと僕は考えている。

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