目標があることの強み。

子供の頃は、多くの人がどんな大人になりたいかという目標があったのではないだろうか?しかし歳を取るにつれ妥協せざるを得なくなる。その理由は現実を知ってしまったから?それとも金銭的な事情?色々あるだろう。そして何より好きな事をやり続け究めることは、あらゆる意味で厳しい道である。もちろん一部の少数の人は順調に難なく進めるだろう。しかし多くの人にとって好きな事を究めることはあらゆる犠牲が伴うし、精神的にも金銭的にも非常に厳しい道となる。もちろん何の展望もなく、そして自信もなければ、単に才能がない人間で終わってしまう。しかし明確な展望があり、自信があるのなら、それに挑戦する価値は十分にある。

そして何より、目標があることはそれ自身が大きな強みになる。人間生きていれば、あらゆる困難が次々とやってくる。そしてそのたびにそのような困難を乗り越えなければならない。しかし人によってはそのような困難を乗り切れない人もいる。いや、そのような人は無数にいるだろう。しかしどれだけ困難が来ようと、次々と困難を乗り越える人もいる。ではそのような人は何が違うか?その大きな理由の一つが、目標があるかどうかと言うことであろう。大きな目標があれば、それを成し遂げるためにはどうすれば良いかと必死で考えるだろう。自然人生に対して前向きになる。前向きか後ろ向きかと言うことは、これからの人生を大きく分けることになる。前向きだと40歳を超えようと人生これからだと思えるし、後ろ向きだと20歳であろうがこれからの人生は惰性で生きて行くことになるだろう。

なぜこんなことを書いたか?それはまさしく僕の置かれた状況がかなり危機的であるからである。しかし危機的であるからと言って、それは絶望的であると言うことでは全くない。希望も自信も絶大に持っている。ただ現時点だけを見れば危機的であるに過ぎない。今を乗り越えれば、その先には大きな世界が待っている。現在の社会もそうではないだろうか?今世界がコロナで危機的状況に陥っている。しかしそれは将来に対する絶望では決してない。もちろん人によってはコロナによって将来が絶望的だと言う人も多いだろう。もちろんそれは生き方の違いだと言うふうには簡単に片付けられない。しかし追い詰められた時こそ火事場のクソ力と言うものが発揮される。少なくともぬるま湯に浸かったままでは現在の危機的状況を乗り越えられない。

それは僕だって同じだ。最近ぬるま湯に浸かり過ぎていた。一年二年かけて完成できればよいと言う甘い認識があった。確かにまともに考えれば五年十年、いやそれ以上かけてもできる保証はないことだ。しかし僕はこの現在の6月から8月までの2か月ちょっとで何とか形にしようと思い始めている。それこそ脳の火事場のクソ力だ。しかし今はそうすべき時ではないだろうか?それができないと、現在の社会状況に対してとやかく言う資格は僕にはない。

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