知能を持つ事と、意志を持つ事。

数学の研究をするうえで、何が必用だろうか?高度な知能か?もちろん、知能は非常に重要である。しかし数学は、あるいは更に広く学問は、知能と同時に明確な意思を持つ事が非常に重要になる。例えば目の前の計算をするだけなら、そこそこの知能があればできるだろう。そして複雑な計算ならば高度な知能があればできるかもしれない。それこそスーパーコンピューター京ならばどんな計算でもできるかもしれない。しかし数学の本質は計算だけではない。数学の研究を進めるためにはビジョンを持たなければならないし、そのビジョンに基づいてどのような方向へ進むかと言う判断は、計算以上にどのような意思を持っているかが重要になる。

最近、毎日のようにAIが話題になる。そこでAIを理解するためには、AIには何ができないか(できるかではなく)と言うことを理解することが大事である。AIは人工知能と言う言葉からも、まぎれもなく知能である。知能であるからには計算ができる。しかしAIは知能は持っているが、意志は持ち合わせていない。最近のAIを見ると一見意志のようなものを感じることがあるが、実際は膨大な計算による最適化である。AIは意志を持っていないので、ビジョンを持つ事ができないと僕は考えている。従って、計算に基づく判断はできても、ビジョンに基づく判断はできない。

これから何がわかるか?つまりこれからの人間において重要になるのは、計算ではなくビジョンである。少なくとも現在は人間にしかビジョンは持てない。しかし計算だけなら既に何十年前からコンピューターは人間を凌駕している。従って、計算力を武器にしようと思っても、100%勝ち目はない。そして‘‘単なる’’知能だけなら、コンピューターはかなり高度なレベルのものを持っている。

では、これからの人間は何を持つべきか?それは‘‘意志に基づく’’知能である。意思に基づく知能ならば、これからまだまだ人間は勝ち目はあるし、意義がある。もしかしたら、意志と言うのは究極の知能なのかもしれない。意思に基づく知能によってビジョンを築き、それに基づいて未来を開拓していく。それがこれからの人間の進む道ではないだろうか。

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