経験か?才能か?人間性か?

日本の政治の世界は経験が一番にものをいう。特に何年経験したかが最も重要視される。とは言え、これは何も日本に限ったことではないが、フランスにおいてはマクロン氏が39歳で大統領に就任したように、必ずしも経験だけがものをいうと言う訳ではないようだ。

しかし、ここで一つ注意しなければならない。僕が今、「フランスでは年齢に関係なく若くして大統領になっているから、日本も経験・年齢重視を見直さなければならない」と言うとする。この論理が没落を招くのである。では何が危険なのか?それは「他国がこうだから、そうしなければならない」という論調が危険なのである。他国がどうであるかに関わらず、日本は日本で自分たちで論理的に結論を導かなければならない。問題は、日本の極度の前例主義にある。フランスがどうであるかに関わらず、小泉進次郎氏が首相になっても問題ないのである。何なら有望な人がいれば、小泉氏より若い人がなってもいい。

僕自身、経験と言うものを全否定するつもりはない。しかし経験自体を評価するのではなく、経験によって身に付けられた技術・素養を評価すべきなのである。一番ダメなのは、経験しかないと言う人なのである。逆に、経験がなくても才能がある人もいる。そしてさらに人間性も素晴らしければその人がトップになることに何の問題もない。「経験がないから心配だ」と言う人もいるかもしれないが、経験があっても問題のある人は山ほどいる。経験自体が問題ではないのだ。

そして、才能は必ずしも外から見えるものだけではない。まだ結果が出ていなくても、現在進行的に物事を積み重ねている人もいる。そのような人は結果が出た時に一気に花開くのであるが、それまでは全く評価されないのかもしれない。とは言え、人間性をもっと評価しても良いのではと強く感じる。果たして日本人は人間性をよく見ているのか?これに関しては僕は日本人は過信しているように思えてならない。日本人と言えば、「絆」「協調性」などきれいな言葉が並べられることが多い。しかしこれの危険なところは、外国人ではなく日本人自身がこれらの言葉を綺麗に飾り付けていることである。昨今の「日本人はすごい」的なテレビ番組もそうだし、昔の東京五輪女子バレーの「東洋の魔女」などと言う言葉を海外の人が言っているところなど聞いたことがない。日本人は謙虚だとよく言われるが、僕には全くそうは思えない。グローバル化の中、ますます日本人はおごり高ぶっているように思える。

日本人の美的感覚はどうなっているのか?たまたま表面化された美談だけをつまみ出して日本人全体が美しいように論調を方向付けてはいないだろうか?別に綺麗でなくてもいいのである。そもそも人間は、綺麗なところもあれば汚いところもある。そのような両極端な側面を持ち合わせながら、自分が理想とする方向へと進むべきなのである。果たして自分はそのような方向へと進むことができているのか?僕自身を含め、全ての人が一度自分に問いかけるべきなのではないだろうか?

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