今に始まったことではないが、人々は偏差値とかIQで人を評価することが好きだ。もちろん、偏差値とかIQを一つの評価基準として取り入れるのは悪い事ではないが、あくまで‘‘一つの’’評価基準であってそれが全てになってはだめだと強く感じている。その一方、統計としてIQを取り入れるのは悪いとは思わないが、その場合にもそれが全てとなると重要な事を見逃してしまうことになる。
そもそもIQとか偏差値で評価すると言うのは、思想的に非常に低レベルな事である。アインシュタインのIQがいくつだとかよく言われるが、そもそも一流の物理学者がIQと言う低レベルな試験を受けると言う事自体おかしな話であるし、アインシュタインを数値で評価すること自体アインシュタインに対して非常に失礼な話だ。そもそもIQがいくらだとか言われて評価されている人は、所詮IQで評価される程度の人間でしかないと言う事だ。
物理学者や数学者の才能をIQで評価できるなどと言う事は絶対にない。学者は研究内容の結果で評価されるのである。英語を日常的に使っている人なら、英検やTOEICの点数で評価することが非常にバカバカしいことがわかるであろう。英語のテストが出来る事と実際に英語が使えるかと言う事は基本的に別の話である。もちろん全く関係ないとは言わない。統計を取れば英語のテストの点数が高い人と英語が使える人には相関関係があるだろう。だからと言って、英語のテストの点数だけで英語力を評価するのは間違っている。
日本はテスト大国である。もちろん海外にも大なり小なりそのような傾向はあるだろう。しかしテストだけを見て、何か大切な事を見逃しているように思えてならない。例えば情熱だとか独創性だとか。そのような事は数字には表れにくいが、それがある人とない人ではその後の伸びしろが全く違う。偏差値天才やIQ天才と真の天才は全く違う。もちろん真の天才がIQや偏差値も高いと言う事は十分にあり得ることだ。しかし数字と言うお手軽で無思考的なもので評価するのではなく、アインシュタインであれば彼の研究内容である相対性理論などの理論を理解して評価することが非常に重要なのである。もちろんそれができないから数値でお手軽に判断しているのであろうが、それは将棋の形成判断を内容を見ずにAI評価の数値だけ見て判断しているようなものである。しかし人間はAIではなく、生身の総合的存在なのである。