考える行為そのものを目的とする。

何かに取り組む時、その目的は結果を出すことだろう。もちろん僕だって結果を出すために日々取り組んでいる。しかしそれと同時に、考える行為そのものを目的にしても良いのではないかとも思う。結果を出すことはもちろん価値があるが、僕は考える行為そのものにも価値があるように思えてならないのである。そして何より、考えるということが大好きなのである。

最近あらゆるところでAIが利用され始めている。ビジネスの世界はもちろん、今年のノーベル賞を見ても分かるように科学の世界でもAIが席巻され始めている。ビジネスなら目的はお金を稼ぐことだろう。もちろんやりがいなどもあるだろうが、最終的にはどれだけ稼いだかが問われる。なのでお金を稼ぐためには手段を選ばないというのが普通だと思う。なのでその手段としてAIを利用するというのは当然の流れであろう。

では科学や数学ではどうだろう。もちろんこのような世界でも結果を出すためには手段を選ばないという考えはある。しかし数学などでは、考える行為自体に大きな価値と喜びを感じる人も多いと思う。そして僕自身もそのような考えを強く持っている。数学などは「知のスポーツ」と呼ばれることもある。スポーツであるからには、人間が行う行為自体に価値が生じる。100m走でロボットがボルトに勝っても誰も価値を感じないし感動もしない。それと同様なことが数学にもある。考える行為自体が目的ならば、それをAIが取って代わるなどと言うことは究極的なナンセンスである。

このように考える行為そのものに価値を見出すと言うことが、これからのAI時代には重要になってくるのではないだろうか?AI将棋ソフトがどれだけ強くなろうとも、藤井聡太の将棋は究極的に素晴らしい!数学の研究に対してもそうだ。考える行為自体を目的とし価値を見出すことが、これからの時代にAIに振り回されない肝であるのではないだろうか?

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