自分の師匠は自分、自分の弟子は自分。

「自分の師匠は自分」とはどういうことか?それは自分の行動、自分の思考は、できるだけ自分の中で見つけ出すということだ。世の中では周りに見習い、周りの人の助言を重視しなければならないとよく言われている。もちろんそれ自体は間違ってはいない。しかし過度に周りの人の力に頼りすぎると、自分の思考力、自分の行動力が衰える一方だ。そしてさらに自分の個性というものが消滅して行く。もし同じものが出来上がるのならば、他力に頼って作った物よりも自力で作った物の方が圧倒的に価値が高い。仮にそれらの価値が社会的に同じだとしても、他力に頼って作る場合よりも自力で作った方がそれ以降の発展の余地ははるかに大きい。「自分の師匠は自分」とは「自力本願」だということだ。

「自分の弟子は自分」とはどういうことか?それは自分の作った物、自分の思考によって導いたものを、自分の中で受け継いでいくということだ。自分の事を世界で一番理解しているのは紛れもなく自分だ。だから自分の思考を一番上手く受け継ぐことが出来るのは自分であるはずだ。もちろん年老いて後がないという状況ならば、自分以外に後継者を探さなければならない。社長ならばある時期からは次期社長を育てなければならない。しかし一個人として物事に取り組み深い思考を重ねる中では、とことん自分にこだわった方が良い。そして自分の力が及ばない範囲の事は、他人が上手く解釈し新しい方向性を見出してくれるであろう。結局、「自分の弟子は自分」とは、これもやはり「自力本願」だということだ。

現代社会においては、周りに頼る物が多すぎるように感じる。わからないことがあればネット検索し、特に日本では「力を合わせて」と過度に協調性を重視する。もちろん自分一人で出来ないことは力を合わせればいいが、一人でできる事まで集団でしようとする。そのような状況では自主性が育つはずがない。そのような所は日本社会の大きな課題であるように思う。

日本においては組織に属していることが重視される。人と会うとまず初めにどこの組織に属しているかということを聞くことが習慣になっている。もちろん組織に属している事自体は何も悪くない。問題なのは。組織に属していないと何もできない人間になってしまうことだ。もちろん、組織に属していることで力を発揮する人も多くいる。しかし組織にこだわるが故に自己思考という概念が破たんしてはいないだろうか?組織に属していようがいまいが、自主性を持ち自己思考が出来る人間でなければならないのではと僕は強く感じる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA