他力本願と言う言葉はあるが、自力本願と言う言葉を使うことは少ないかもしれない。しかし僕はこの自力本願と言う言葉をよく使う。なぜなら、僕は基本的に自分で考え自分で行動すると言うことに強いこだわりがあるので、それを一言で表すとなると自力本願と言う言葉がピッタリだと思うからだ。
自力本願とはもちろん自分の力で乗り切ると言うことだが、言葉を変えると「手段にこだわる」と言うことだと僕は考えている。ビジネスならば一番の目的はお金を稼ぐことだから、手段を選んでばかりではいられないし、手段など関係ないと言う人も多いだろう。しかし人生においては手段は非常に大きな意味を持つ。ただ結果さえ良ければ良いとは僕は考えていない。どのような手段を取り、どのような道をたどってきたかと言うことが結果に大きな付加価値を付ける。だからこそ、僕は手段に非常にこだわるし、どのような道を選ぶかと言うことにこだわるのである。
そしてそのような事は学問にも言えると僕は考えている。もちろん、同じ結果であれば同じような評価をされるものではあるとは思うが、それでも僕は手段を選ぶことにこだわっている。これはある意味自己満足だと言えるかもしれないが、しかし「学問を究めること=人生」だと思っている僕にとっては重要な事である。しかし計算などをするときに手段にこだわる必要はない。時には泥臭く計算することも必要だ。そんなところに手段にこだわってはいけない。手段にこだわるのは人生を学問に投射するときに限る。
僕が自力本願にこだわるのは、基本的に一人で生きることが好きだからかもしれない。もちろん人と飲んだりして楽しむことも大好きだ。しかし数学や理論物理は基本一人で完結するものだ。もちろん他人と全く関係ない訳ではないが、他の学問、他の業種に比べると、圧倒的に自分の内部から沸き立つものによって極めることができる。社会では人の力を利用することの重要性ばかりが強調されるが、自分の力で考え抜いて今を切り抜けるということの重要性が軽視され過ぎではないだろうか?