自由がなぜ大事なのか?

日本を含む西側民主主義国家を「自由主義陣営」と呼ぶことがある。そして西側陣営に住む民衆は、自由と言うことを最も大事な事と捉えている。しかし残念なことに全員ではない。西側陣営に住んでいても、自由の重要性を認識していない人もいる。便利になれば、お金があれば、自由はそんなに大した問題ではない。そう考えている人も少なくないように思える。

自由には二つあると僕は考えている。一つは行動の自由。もう一つは精神の自由だ。行動の自由は分かりやすい。どこにでも自由に行けて、好きな事ができる。もちろん“何でも”と言う訳ではなく、人に危害を加えることは絶対にやってはいけないし、その辺は我々の一般常識に照らし合わせれば分かる。一般常識に照らし合わせた上でやってもいい事、と言う意味である。

しかし問題は、精神の自由である。これがなかなか理解されない。しかし僕からすると、これは行動の自由以上に重要な事である。精神の自由がなければ、独創的・創造的な営みはできない。しかし厄介なのは、精神の自由がなくても、何不自由なく生活ができることだ。少なくとも精神の自由の重要性を理解していない人たちはそう思っている。しかし人生を極め何かを生み出そうとしている人にとっては、精神の自由は死活問題である。そして西側陣営の言う自由とは、半分以上は精神の自由である。

今、香港の人達が立ち上がっている。彼ら彼女らは自由を死守しようとしているのだ。中国は皆が知るように一国二制度を取り入れている。そして香港はイギリス時代からの流れで民主的制度を取り入れている。しかし今それが壊れようとしている。この問題を考えるとき、中国本土の状態も同時に考えなければならない。本土側は共産主義国家体制である。そして高度な監視社会である。従って、市民の行動はほぼ全て監視されている。しかし中国市民からはあまり不満の声は聞かれない。それは彼ら彼女らが、自由よりも便利さ、そしてお金を受け入れているからだ。現在の中国はかなり便利だ。スマホ一台あれば何でもできる。高度なキャッシュレス社会なので、スマホがあれば何でも買える。自由よりも便利さやお金が勝ってしまうのか?このことを我々は笑ってはいけない。我々も便利さとお金を目の前にすれば、自由を放棄してしまうかもしれないからだ。特に精神の自由の重要性を理解していない人たちは、その可能性が高い。しかし一回自由を放棄してしまうと、それを取り戻すのは至難の業だ。それを知っているからこそ、香港市民は立ち上がっているのだ。

お金によって手に入れられる自由がある。確かにお金がなければそれらの自由は手に入れられない。しかし頑張ってお金を手に入れることができれば、そのような自由を手に入れることができる。このようなお金で手に入れられる自由が現在ないことはかなりつらいことであるが、それは同時に現在取り組んでいることで成功して手に入れるぞと言う原動力になる。しかし一回失くした精神の自由を取り返すことはそう簡単ではない。現在は高度な精神の自由を維持しつつ、頑張ってお金で手に入れられる自由も手に入れようと常に前向きに進んで行こうと強く思う。

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