記憶ではなく、思考を!

学問と言っても記憶力がものを言う学問から思考力がものを言う学問までいろいろあるが、数学や物理は、記憶力の学問ではなく完全に思考の学問である。とは言え、もちろん記憶力があるに越したことはない。しかし記憶力がなくても最高の結果を残すことは可能だ。記憶力が重要になる学問もある事はあるが、それでも思考力がいらない学問はおそらくない。学問とは思考してナンボの世界である。

日常生活においては、あるいは仕事の世界においても、記憶力だけで乗り切れる分野はあると思う。確かに記憶力が日本の誰よりも優れているというレベルであったら、それだけで飯が食って行けるし、ある分野ではトップに行けるかもしれない。しかしそのような日本トップレベルの記憶力の持ち主でない限り、必ず思考力は求められる。しかし、記憶力というものはすぐに分かるような明確な指標があるが、思考力というものは非常に多様なものであるので一目でその能力を感じ取ることは難しいかもしれない。もちろん見る人が見れば、思考力があるかどうかは一発でわかる。しかしそれでも見落とされている思考力がある可能性は否定できない。例えば文章力がなくても数理的思考力は優れているかもしれない。そしてそのような多様性がまた面白い所である。

世の中では、賢い生き方をすることが良いという風潮がある。しかし僕はこのような風潮は非常に危険だと思っている。なぜなら、思考して生きる事と、賢い生き方をするという事は全く別問題だからである。賢い生き方とは、型にはまった生き方である可能性がある。あるいは皆と同じことをしてはみ出したりしないか、ということである。そしてそこには思考が存在しない可能性がある。もちろん、思考して賢い生き方をすれば良いのかもしれないが、僕は思考するバカになりたいと思っている。思考するバカは面白いと信じているからだ。

とは言え、現在、そして死ぬまで数学や物理の研究に取り組むことはやめないだろう。なぜなら、そこには思考する面白さが凝縮されているからだ。数学や物理の研究は究極的な思考である。物事に取り組むならば、究極を目指すべきだと思う。しかし現実は、多くの人が普通の中の普通、つまり現状維持に苦心している。それらの違いは価値観の違いによるものなのかもしれないが、どうせ生きるのなら最高の結果を残したいと思うのは僕だけだろうか?

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