(再び毎日ブログ更新します。)学校教師の暴行事件について。

ここ半年くらい、ブログの更新の頻度を大きく下げていた。最近は一週間に一度と言うことも少なくなかった。その理由は執筆時間の節約と言うこともあるが、しかし執筆を省き時間を作ったからと言って、その空いた時間を有効に使えていたかと言うと疑問に思う。むしろ毎日ブログを執筆したいた時の方があらゆることが好調だったように感じる。毎日ブログを執筆することによってリズムができる。リズムができるとあらゆることが調子に乗ってくる。そのように毎日ブログ執筆を続けた方が僕自身も得る物が大きいのではと感じ、今日から(出来るだけ)毎日ブログを執筆すると言うスタイルに戻すことにした。なので今日からまた毎日のブログを届けようと思うので、読者の皆様、よろしくお願いします。

ところで今日のニュースを見ると、中学校での体罰のニュースが流れていた。被害を受けた生徒のうちの一人は背骨を骨折したと言う。これはもう体罰ではなく、れっきとした傷害事件である。このような傷害事件を、学校の中で起こったと言うことで「体罰」と言う言葉を使うのは本当にやめてほしい。学校内で起きた「傷害事件」なのである。しかもその教師は過去に三度の処分を受けていたと言う。もう開いた口がふさがらない。三度の暴行が明らかになっていると言うことは、実際にはその数千倍の暴行があったと考えるのが普通であろう。ニュースによれば、わいせつ事件ではほぼ全て懲戒免職になっているのに対して、体罰(暴行)では全く免職にならないそうだ。傷害事件を起こして免職にならないのは世間の常識に照らし合わせても明らかにおかしいし、学校の外で同じことを起こせば確実に逮捕拘留、そして有罪で場合によっては刑務所行きだ。

ではなぜ暴力教師は免職にならないのか?それは「生徒のためにやった」と言う言い訳(暴力教師の伝家の宝刀)があるからだ。そして教育委員会はそれを真に受けて処分しない。そんな言い訳は世間では通用しないはずだ。そう考えると学校と言う世界は非常にゆがんだ世界だ。もうそう言う言い訳は許さないようにしなければいけない。そして今回の事件で個人的に非常に悲しかったのは、その暴力教師が数学の教師だと言うことだ。数学に関わっている人間として非常に恥ずかしく怒りを覚える。

ところで僕は小学校・中学校と神戸市で教育を受けてきた。そして実際にそこで教育を受けた人間から見て、神戸市の教育は全国最低レベルであると感じている。小学時代には暴力教師(体罰教師でさえない)から日常的に暴行・嫌がらせを受け、中学校は(当時は)男子丸刈り強制である。少しでも髪の毛が伸びていようものならまたそこで暴行である。神戸市の学校では日常的に教師による暴行がはびこっている。今はマシになっていると思いきや、東須磨小学校での教師同士の傷害・嫌がらせ事件である。どうやら神戸市の教育は30年経ってもそのような土壌は変わっていないらしい。もし自分に子供がいても、神戸市でだけでは絶対に教育を受けさせたくないと思っている。

もう体罰と言う言葉はやめにしようではないか。これからは「傷害・暴行事件」と呼ばなければならない。そして暴行教師への処分は学校外社会と照らし合わせなければならない。暴行をしないと教育を行うことができないと言う教師は、教育力が全くないと判断し排除しなければならない。僕は今でも暴行を受けた神戸市での教育を強く恨んでいる。

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