「考えること」の重要性。

このブログのタイトルが「考える部屋」としてあるように、僕は考えることに最も重きを置いている。考えると言う行為は最も人間らしい行為であり、人間が人間であるために最も必要な行為であると考えている。しかし現在、人間は自分自身でAI(人工知能)と言うものを作り上げようとしている。僕自身はAIに対してそんなに楽観視していない。しかし現代社会にAIと言うシステムが存在する限り、「AIとは何か?」と言うことを考え理解することは絶対に必要だ。科学的観点からAIのシステムを理解すると言うことはこれからの人間にとって重要なスキルとなる。しかし今社会は、「どのようにAIを利用するか?」と言うことばかりに気を取られて、「AIとは何か?」を理解すると言う観点が完全に欠落しているように思えてならない。

考えることはAIに任せて、人間は何も考えなくなるのか?それは絶対に違う。これから人間はAI以上に考えなくてはならないと僕は考えている。なので僕はとことん考えることにこだわって、知を追究して行こうと考えている。

そして今最も危険なのは、「AIでなんでもできる」と考えることだ。僕が以前、「科学を理解している人は科学には何ができないかを理解している。しかし科学を理解していない人は科学で何でもできると思っている。」と書いた。すなわり理解するとは、「今何ができないかを理解する」ことなのである。何ができないかを理解しているからこそ、そこを乗り越えようとする。そのような考えはAIにも言えるのではないだろうか?「AIを理解している人は、AIは何ができないかを理解している。しかしAIを理解していない人は、AIで何でもできると思っている。」なので、AIと言うシステムを科学的(例えばディープラーンニング)に理解して、AIにできるもの、できないことをしっかりと理解することが必要だ。そうすると意外に(少なくとも現在は)AIより人間の方が圧倒的に優っていることがわかる。現在AIが圧倒的に優っていると思われるものは、例えば将棋のように単純であるが膨大なデータの解析が必要なことに対してであり、学問的な思考はまだまだ人間の方が優っているのだ。

人間の時代が終わる時は、それは人間が思考を捨てた時である。なので人間が思考という行為を捨てない限り、まだまだ人間の時代は続くと僕は考えている。まだまだ人間は捨てたものじゃない!

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