なぜフリージャーナリストは危険地帯に赴くのか

フリージャーナリストの後藤健二さんがISに拉致・殺害されて1年が経つ。後藤さんのようなフリージャーナリストが犠牲になった後も、危険地帯に自ら赴くフリージャーナリストは後を絶たない。それに対して日本国内でも批判の声は大きい。たしかにその批判はわからなくもない。もしフリージャーナリストが拉致でもされれば、日本国首相や政府をはじめ、救出のために多くの人が動かざる負えなくなる。それだけではない。身代金も何十億という桁違いの金額だ。

しかしフリージャーナリストは日本人にとってはた迷惑な存在なのだろうか?フリージャーナリストの意義を考えるときに、テレビ・新聞社などの組織ジャーナリストとの対比抜きには語れない。このフリージャーナリストと組織ジャーナリストはお互い補完し合う存在なのだ。例えばフリージャーナリストにオバマ大統領などの指導者を取材することはほぼ不可能だ。オバマ氏を取材するには組織ジャーナリストの力が不可欠だ。

では組織ジャーナリストが万能かというとそうではない。組織ジャーナリストにはできなくて、フリージャーナリストにしかできないことがあるのだ。その典型が後藤健二さんであった。

組織ジャーナリストには組織の責任が伴う。そのため、シリアなどの超危険地帯には組織ジャーナリストは踏み込めないのである。そこで活躍するのがフリージャーナリストなのである。フリージャーナリストは小回りが利く上に、自己の責任の上で取材を進める。戦場の最前線、そして現地の社会を取材するにはフリージャーナリストの存在は欠かせないのである。そういう意味で組織ジャーナリストとフリージャーナリストは補完し合う関係なのである。

とは言え、日本人の中には、そんな危険な所のニュースなど関係ないよ、という人は多いかもしれない。しかし現地の生の情報がなければ、そのことを議論しても空論で終わってしまう。ドラマ・映画の「踊る大捜査線」風に言うと、「戦争は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ!」ということなのである。その現場の真の姿を伝えてくれるのがフリージャーナリストなのである。

確かにフリージャーナリストの危険に対する対価は大きい。しかしフリージャーナリストの情報は、現代社会を生きる我々には不可欠なのである。その情報を得るため、フリージャーナリストは命をかけて日々行動している。

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