古典地図から見た尖閣諸島

ここ数年、尖閣諸島の領有権をめぐって日本と中国の間で対立が起きている。日本、中国双方の間でそれぞれ自国の主張があるが、お互い自国の有利な主張しかしないので平行線をたどっている。では尖閣を第三国から見ればどうであろうか。

最近、19世紀終わりに作られた英国・ドイツの地図が発見された。それによると両方とも尖閣は日本領となっていたそうだ。これを聞いて気の早い政治家などは、だから尖閣は古来から日本の領土であったというだろうが、見方を変えれば所詮外国の作った地図がたまたま尖閣を日本領に分類しただけのことでもある。

しかしこのイギリスの地図にはもう少し深い意味がある。当時香港と朝鮮南部の島は英国領であった。そしてその双方を結ぶ航路はイギリスにとって重要であった。そこでその航路上にある尖閣の領有権は英国にとってはっきりさせていなければならない問題であった。そこで英国は尖閣を日本領と認識していたのだ。

領土の領有権をめぐる争いは世界いたるところで起きているが、当たり前のことだがどこの国も自国にとって有利な事しか主張しない。領有権の合理的な解決は不可能かもしれないが、第三国の視点というのは解決の一つの糸口になるのかもしれない。

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