学問的意義と受験テクニック。

受験とは何のためにあるのか?さらに受験の意義とは何なのか?僕はこれまで受験に取り組むことに対して、学問的意義ばかりに気を取られていた。なのでこれまでのブログにも「受験は無意味だ」などと言う趣旨の事を何度か述べて来た。確かに学問的意義だけを考えると、受験の意義と言うものは非常に小さなものであると僕は考えている。そのような考えは今でも変わっていない。しかし受験と言うものに対して学問的意義だけにとらわれていると、重要な事を見落としてしまう。僕自身もこれまでそのような重要なものを見落としていた。

受験に臨むにあたって、受験テクニックにこだわる人がかなりいる。僕はこれまでそのような受験テクニックをバカにしてきた。しかし現実社会においてどのようなスキルが要求されるのかと考えた時、その場での課題を乗り越えるスキルを身に付けることが重要である。そしてそのようなスキルは意外とテクニック的なものであったり隙間を突く裏技的なものであったり、そのような事が要求されることが多いのではないだろうか?なので受験勉強をするにあたってその学問的意義よりも、いかに要領よく切り抜けるかとか、さらにそこを切り抜けるためのテクニックを駆使すると言う事が重要なのではないだろうか?そのような事を考えた時、意外と受験テクニックと言うものは、社会から要求されるスキルに近いものがあるのではないかと最近考えている。

もちろん学問を究めようと思えば、学問的意義と言うものは最も重要になる。しかし現在の大学と言うものは就職予備校と揶揄されることも多いように、ほとんどの人はアカデミックの世界には行かない。なのでそのような人にとっては受験テクニック的なスキルも重要な力になるのではないだろうか?

以前、大学を研究型大学と就職型大学に分離すると言う話がされていた。僕はこのような分離には(一部)賛成である。なぜなら今の大学は研究を志す人が就職を目指す人に引きずられ、逆に就職を目指している人が本人には無用だと思っている学問を強制されている。しかし考え方を変えれば、研究者と就職者が同じ土俵で学ぶと言う事は多様性を高めると言う観点からは大きな意義があるし、また現在の社会が進む方向性に合っているのかもしれない。なので大学などの教育現場で、研究者と就職者がWinWinの関係を築くことが最も重要なのではないだろうか。

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