幹は本質だけど、花がないと誰も振り向かない。

本質を掴むことは非常に重要だ。しかし幹となる本質だけ取り出しても、その幹がどれだけ重要かなかなか理解されない。本質となる幹は、花を咲かせてこそ初めて重要性が理解されるのである。

最近、数学に取り組んでいてそのような事を強く感じる。数学の中で幹となるのは三つほどの概念なのである。その三つほどの概念の下に次に重要な概念がいくつか付随する。そしてさらにその下に次に重要な概念が。この様に数学的構造は系統樹的に連なっている。そして言うまでもなくその系統樹を概観して理解することは非常に重要だが、それを概観するだけでは何も生まれない。そこから手を動かして計算することが重要なのである。計算して細部を埋めることによって、系統樹に新たな部分が追加される。

数学的視点はあらゆることに応用できる。それはビジネスであったり、日常生活であったり、人間関係であったり。それらの構造と相互作用の骨格は、かなりの部分が共通する。だからこそ、一つの事を極めてその本質を掴めば、それが他の事に応用できるのである。プロのジェネラリストになる一番の方法は、プロのスペシャリストになることなのである。

プロのスペシャリストになって、そのことに対する本質を掴む。それで良いのだが、それだけでは誰も見向きはしない。そこに花を咲かせること、それが実績になるのである。しかし花を咲かせることだけに気が行って最短コースをたどる事ばかりを考えると、意外に大きな壁にぶつかってゴールにたどり着けない。本質を掴むという作業は一朝一夕では完成しないが、そのように遠回りしてみると意外にゴールまでたどり着けるものかもしれない。

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