旧民主党の「八ッ場ダム」に対する対応。

先日の台風被害に対して、群馬県の八ッ場ダムがかなりの防災効果を発揮したことが現在問題になっている。報道によると、八ッ場ダムは台風による豪雨で一日に50メートル以上もかさを上げ、下流域を水害の危機から守ったと言う。八ッ場ダムと言えば、旧民主党政権時代の事業仕分けで八ッ場ダム建設中止が目玉政策として取り上げられたことが記憶に残っている人も多いだろう。僕自身も八ッ場ダムと言えば、どうしてもこの民主党政権の事業仕分けを思い出してしまう。

今回の台風被害に対して八ッ場ダムがどれだけ防災効果を発揮したのかを推測することは非常に難しい。しかしかなりの防災効果を発揮したことは想像に難くない。しかしその一つのことを持って八ッ場ダム建設が100%正しかったのかと言えば、それは早計である。第一に、「もし八ッ場ダムがなかったら」と言うことは、現実にないことなので正確に測ることはできない。そして何しろ八ッ場ダムの建設費はかなりの巨額である。確かに人の命はお金に代えられないものであり、八ッ場ダムの建設費というお金によって多数の住民の命が救えたのならば、それは安いものであるという考えも自然と出てくる。

しかし、八ッ場ダムの数千億円という建設費を他に回せば(例えば医療費や、他の防災設備に)、さらに多くの人を助けることができた可能性もある。もちろん、人の命を人数によって比較することは適切ではないが、ただ防災効果を考える時、被害人数を比較することは一つの判断材料として重要である。物事は総合的に考えなければならない。今回の八ッ場ダムの防災効果を考えるとき、ただ単に今回の台風被害についてばかり考えるのではなく、建設費からその他の国家事業まで、様々な要素を総合的に比較しなければならない。

今回の台風で八ッ場ダムが防災効果を発揮したことによって、旧民主党議員たちは苦し紛れの弁解に終始している。“防災効果は総合的に考えるべきだ”と一言言えばいいものを、何だか責任を逃れるための弁解に終始している。このような事では、旧民主党系に対する信用はさらに低くなるばかりなのに、自分たちで自分たちの首を絞めてばかりいる。今回の八ッ場ダムについての評価を正確に行うためには、かなりの頭脳を集結しなければできないと僕は考えている。そのような頭脳とは、防災の専門家からダムの建設に携わる建設家、そしてそれらを実行する政治家たちだ。しかしどうやら、旧民主党の政治家の中には、そのような有能な政治家はほとんどいないみたいだ。

僕は今の自民一強体制に非常に危機感を感じている。そのような現状の中で、野党の存在意義は非常に強いはずだ。しかし肝心の野党の当事者たちが、次から次へと自分の首を絞めようとしている。特に旧民主党勢力に対しては、失望と言うより「大丈夫か?」と心配の念を持ってしまう。今回の台風災害に関して、そのような事を強く感じてしまう。

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