権力を上手く使いこなせていない!

権力とは諸刃の剣である。良識のある優秀な人物が権力を持てば世の中は良くなるが、もし知識のない凡庸な人間が持てば世の中は悪化の一途をたどり、民は苦しい思いをすることになる。古代ローマでは、一番の理想は哲学者が皇帝になることだと言われていたと言う。そして実際に一人だけそれを実行した人物がいる。マルクス・アウレリウスである。アウレリウスは「自省禄」と言う非常に素晴らしい書籍を出しており(哲学書と言えるかどうかわからないが、哲学書と言われることが多い)、人間としても一流である。アウレリウスが権力を持った当時のローマ市民はもしかしたら非常に幸福であったのかもしれない。

初めに言ったように、権力とは諸刃の剣である。それが良い方向へと行った例としてマルクス・アウレリウスを取り上げたが、逆はどうであろう?そう、今の日本がそうであると言える。菅氏は権力の使い方がわからず、全てが裏目裏目に出ている。アウレリウスのような優秀な権力者の常として第一に国民・市民の事を考えるが、凡庸な権力者の常として自分の実績にこだわり保身に走る。僕はこれまで菅氏をかなり批判してきたが、菅氏が逆転をする方法がひとつある。それは自分が犠牲になることを厭わないことだ。菅氏の現在の失敗は全て自分の保身に由来することだからだ。

権力とは権力者のためではなく、民のためにある。しかし日本の、いや世界共通かもしれないが、ほとんどの指導者が権力と言うものを勘違いしている。特にそれを助長しているのが、権力の世襲であろう。しかしこれには市民(有権者)にも責任がある。なぜなら世襲政治家に票を入れているのは一般市民に他ならないからだ。もちろん世襲が全て悪いとは言わない。世襲議員が良い政治を実行してくれるのなら大歓迎だ。だからこそ小泉進次郎氏にも期待してしまう。世襲政治家が悪いのではなく、何も考えずに単に有力政治家の後継者と言うだけで票を入れてしまうことが良くないのだ。

今まで批判してきた菅氏は世襲政治家ではない。しかし首相と言う政治家のトップにまで上り詰めた。いや、このような表現は良くないかもしれない。トップまで上り詰めたとか言うと、競争社会での争いであるように聞こえる。いや、現実として政界は熾烈な競争社会であることには間違いないが、しかし本来は政治家は市民の代弁者であり、極論を言えば市民に対する奉仕者だ。なので市民の方に顔を向けていない政治家など論外だ。しかし菅氏は今どこを見ているのか?二階氏の方を向いているのか?どちらにしても現在の菅氏は政治家とは本来どうあるべきかと言う事を完全に見失っているように思える。

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