“特殊”な何々。

最近、報道などで気になっている言葉がある。それは事件などが起きた時に、「特殊な何々」によってなされたという言葉だ。例えばある事件が、「コンピューター」によってされたと報道されたとする。すると、「コンピューターでそんなことができるのか?」と驚く。しかし、「“特殊”なコンピューター」でされたと報道されると、「特殊なものだから出来て当然だろう」と何も驚かない。このようなことに僕は危機感を感じている。なぜ危機感を感じるのか?それはここに思考停止がみられるからだ。

「特殊」という言葉はある意味魔法の言葉だ。「特殊」という言葉を差し込むだけで何も疑問を感じなくなる。この「特殊」という言葉が思考停止を招いているのだ。しかし、もしそれが特殊であるのならば、本来はどう特殊なのかを知りたい。原理を知りたい。しかし多くの人は「特殊なのだからできて当然だよね」となってしまう。例えば、iPS細胞によって治療が可能になったと聞けば、「iPS細胞はそんなこともできるのか?」さらには、「iPS細胞によってどのような原理で治療が行われるのか?」と次々と興味がわいてくる。しかし「“特殊”な治療法によって行われた」と聞けば、「そうなんだ」とそれで終わってしまう。

このようなことから、「特殊な」という言葉は極力避けた方が良い。報道する側も、また日常において何かを説明する人も、内容・原理を詳しく説明する方が良い。それができるかどうかは、その人の知識レベルにかかっている。「特殊な」という言葉を使って説明する人は、実は何も分かっていないに等しい。

実はこのような言葉の綾は様々なところに潜んでいる。言葉の綾に惑わされて何も理解しないで過ごすのではなく、さらに疑問を持ち、内容・原理を確実に理解することが重要なのである。

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