考え方が老いている人が退かなければならない。

社会ではよく「若い人に道を譲るべきだ」と言われる。ではそこで言う「若い人」とは何を指して言っているのだろうか?ほとんどの場合、年齢の若い人と言う意味で言っているのだろうが、僕が思う若い人と言うのは単に年齢だけの事ではない。考え方が老いている人、つまり精神的に老いている人、そして惰性で生きている人は例え年齢が若くても若い人とは言えない。その反面、精神的に若くて常にエネルギーに満ち溢れている人はこれからもずっと活躍の場で輝き続けるべきだ。そして最近は「老害」と言う言葉も良く取り上げられる。これももちろん年齢が老いている人と言う意味で取り上げられているのだろうが、やはり年齢が若くても精神が老化していればそれは立派な老害である。

ではいつまでも精神的に若くあるためにはどうすれば良いのか?まずは「守りに入らない事」である。いつまでもリスクを背負いながら挑戦し続ける事、それが精神を若返らせる。惰性で生きるようになれば全ての事においてリタイヤすべきだと思っている。世の中は若い人が作り、若い人が変革させていく。もちろん「精神的に若い」と言う意味である。もちろん年齢が若ければこれからの可能性も大きいだろう。しかし逆は必ずしも言えない。歳を取っているから可能性がないとはならない。例え中年であろうと大きな可能性を持ち続けている人は少なからずいる。そしてそのような挑戦し続ける人が世の中を変えて行くのだと思う。

人間と言うものは見かけだけではわからない。しかし世の中では年齢だけで判断されることが多い。もちろん身体能力的なものは自分で気づかないうちに低下していることも多いので、車の運転免許などはある程度年齢で制限していくのが賢明であろう。それは最近の高齢者による交通事故が物語っている。しかし精神はいつまでも若返らせることができると僕は考えている。もちろん年齢が若い人の方が精神も若い可能性は高い。しかしそれが絶対だとは言えないのが人間と言うものだ。一部ではあるが精神的にバイタリティ溢れる老人もいる。単に年齢が若いだけの人は、バイタリティ溢れる中年や老人に道を譲るべきだ。

年齢を若返らせることは完全に不可能だ。しかし精神を若返らせることは常に可能であり、それはその人本人の生き方考え方にかかっている。確かに歳を取って惰性で生きるのも一つの生き方かもしれないが、そのような人は年齢にかかわらず即刻隠居でもしてもらいたい。世のなかは常に若い人達のものだ。年齢にかかわらず!

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