追悼イベントの前に、完全なる銃規制を

10月1日、またもやアメリカの学校で銃乱射事件が起き、多数の死者が出た。この銃乱射事件のにニュースを見ていると毎度のことながら集会を開き、アメイジンググレイスの合唱がなされていた。集会を開くこともアメイジンググレイスを歌うこともいいが、肝心な銃規制がほとんど進まない。

アメリカでは銃の所持の自由が主張され、全米ライフル協会が政治の世界でも力をふるい、完全なる銃規制法案が全く可決しない状態がずっと続いている。銃乱射事件が起こるたびに追悼集会が開かれるが、もうそのような映像を見るのに僕は辟易している。もちろん集会を開いている人たちは全く悪くないが、このような集会が恒例化され、イベントとなりつつあるように思えるのだ。

何百回追悼集会を開くより、一つの銃規制の法案を通す方が圧倒的に重要であるし、このような追悼集会を起こさなくていい社会にしなければならない。

アメリカ国民が、そして全米ライフル協会がいくら綺麗ごとを言っても、現在のアメリカの銃社会を見ると全てがしらけて見える。全米ライフル協会という圧力団体がロビー活動で政治家を、人々を半ば脅迫するような社会が本当に真の民主主義社会だといえるだろうか。奴隷解放、黒人と白人の平等化を進め、黒人のオバマ氏が大統領になった今、銃の完全規制は奴隷解放に匹敵するくらいの乗り越えなければいけない大問題ではないだろうか。

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