阪神大震災20年目

今日1月17日で、阪神大震災から20年目。神戸市民なら毎年振り返る日だ。

震災の年、僕は大学受験生だった。確か震災三日前くらいにセンター試験があった。そんなに根を詰めて受験勉強をやっていたわけではなかったので、震災の前日も夜更かししていた。

寝付いたのは夜中の午前4時過ぎだったと思う。寝付いてすぐに地震が起きたという感じだった。ベッドを大男に揺さぶられているような感じだった。揺れているときは、地震という認識もなかった。幸い僕の住んでいるところは神戸でも被害の少ない地域だったので、混乱は全く起きなかった。

そして3日後に地下鉄が市街地まで再開したので、被害のひどい地域にいる親友の安否をたずねて行った。親友は無事だったようだが、避難しているようで会うことはできなかった。

約半月後、大学入試2次試験を受けるために神戸市街を通ったが、一帯焼野原で「私たちは大丈夫です」という木製の札が焼けた家の前にいたるところに立っていたのが心に残っている。

そういえば、身内に亡くなった人がいなかったせいか、個人的には神戸のシンボルの一つであもあり、毎日のように利用していた阪急三宮駅を取り壊しているテレビ映像を見たとき、涙が止まらなかった。

あれから20年、今では神戸の街で震災の爪痕を見つけるのが難しいほど復興している。(見かけ上は)

阪神の時はかなり街の復興が早かったように思えたが、東日本大震災の被災地ではまだまだ復興には時間がかかりそうな状況だ。今の僕には本当にどうすることもできないので心苦しくて、東日本の被災者に対して本当に申し訳ない気持が残るのみである。

阪神大震災の時、当時イチロー選手も在籍していたオリックスブルーウェーブが「がんばろう神戸」というスローガンを掲げて戦っていた。

被災者でない僕がこんなことを言う資格はないかもしれないが

「がんばって東日本」

とエールを送らしていただきたい。

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