震災・福島原発事故から4年、原発は麻薬か

3月11日、東日本大震災からちょうど4年を迎えた。様々なテレビ番組及びメディアで震災、そして福島第二原発事故の特集をしていた。その中の一つ、テレビ朝日の報道ステーションでは原発問題、特に廃棄物処分場の問題を大きく取り上げていた。

思い返せば、僕が子供の頃は原子力は夢のエネルギーと言われていた。僕が見ていた子供向けの鉄道の本では、今では考えられないようなことだが、原子力鉄道なるものが載っていたことを覚えている。先頭車両に小型原子炉があって、その力で走るというものだ。このように当時は原子力の未来は輝かしいものに見えたのである。

福島事故後、日本人、いや世界に人が我に返ったのかもしれない。とんでもない物を作ってしまったと。しかし福島事故後の現在も原発推進派は根強く残る。事故が起きても今の日本のエネルギー国策関係者はNOとは言えないのである。

なぜか?

報道ステーションの特集を観て思ったのが、「原発は麻薬みたいなものだ」ということだ。原発が「現時点のみ」に与える恩恵は非常に大きい。現時点でのコストは他の燃料より安くつくし、燃料を再処理して再び使えるようになるというシステムは資源小国の日本にとって何より魅力的に見えるのだろう。

しかしよく知られているように、原発からは放射性の使用済み核燃料が生じる。しかし原発を作るときに使用済み核燃料をどう処分するかという観点が全く抜け落ちていたのである。使用済み核燃料の処分の問題は今ではいろいろと議論されているが、考えれば考えるほど、調べれば調べるほど、研究すれば研究するほど、ますます困難な問題だということが明らかになり、ますます解決が遠のいてしまっているのである。

ところでフィンランドでは、原発を建設するときには使用済み核燃料処分場をあらかじめ確保しないことになっているみたいだ。原発と処分場は常にセットなのである。しかし日本は原発を作るだけ作って処分場のことは全くノータッチだったのである。ゴミは出続けるけどゴミ箱がない状態だ。

もちろん誰でも自分の敷地がゴミ箱になるなんて嫌がるに決まっている。そうなれば考えることは一つ、「金で解決する」ということであろう。実際、原発や核燃料処理場を建設する際には自治体に多額のお金が投下される。お金に困っている自治体にとっては、核は嫌だけど背に腹は代えられないと受け入れるしかないのである。

夢のエネルギーは今では悪魔に成り変わっている。安くつくと思ったコストも、後々の処分のことまで考えると金銭的にも安全リスク的にもとてつもなく高いコストがかかってしまう。

しかしやめられない今の日本。この原発麻薬中毒から抜け出せる日は来るのだろうか。この原発先進国であり核燃料処理後進国の日本のとる行動に、全日本国民の行く末がかかっている。

 

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