月別アーカイブ: 5月 2015

高齢者負担と若者へのしわ寄せ

最近、何かと高齢者への負担増加に対する反発が話題になる。年金受給額の引き上げをはじめ高齢者への負担増加が迫られている。

高齢者の反発の声は頻繁に話題になるが、それは高齢者は有権者である(当たり前の事だが)ことと、選挙投票率の高さがものを言っているからであろう。

しかし高齢者負担よりもっと深刻な問題がある。若者への負担しわ寄せである。特に20歳未満の子供・青少年には選挙権がなく、実質的に発言の場がない。20歳以上の若者に関しては、高齢者よりも数が少なく、選挙投票率が低い(これは若者の責任でもあるが)こともあり、社会では若者の存在が軽く見られている。

いまの国の国民に対するサポート体制は半分自転車操業的な様相を感じる。多くの若者は現在を生きることに必死で明日を考える余裕がないように見える。このことはもう高齢者負担増の問題の比ではない。数年後、数十年後に出てくる問題なのでまだ切迫感はないが、そろそろ問題の焦点を高齢者から若者に当てなければならないのではないかと思う。

高齢者だけを見ていては根本的な解決は一切なされない。若者たちを取り巻く状況を改善し、若者たちの問題に真剣に取り組むことが、国全体の問題を解決する先鞭になる。すぐに解決する問題ではもちろんないが、長期的な観点から若者たちの未来を考えていかなければならない。

これからの維新の会

今回の大阪市住民投票で維新の会が進める大阪都構想が敗れた。差はたった1%ほど。反対派は勝利したと雄たけびを挙げ、賛成派は負けを認めることになった。しかし結果は51対49。これは構想反対の結果を市民すべての民意だと受け取るにはあまりにも厳しい結果だ。勝利の祝杯を挙げる自民党議員がいる中、一人の自民党幹部は厳しい表情を浮かべていた。「この投票に勝者も敗者もない」と。

ところで今回の結果を受けての橋下氏の振る舞いは非常に潔い。反対派多数の確定が決まるや、即、大阪市長辞任ではなく政界引退を表明された。この橋下氏の進退、そして投票結果を受けての発言を聴くと、民主主義への多大な尊敬の念がうかがえる。橋下氏と言えば多少強引な手腕に頼るところがあり、好き嫌いのはっきり分かれる政治家であったが、今まで振り返ると要所要所では民意を聞き取ることにこだわっていたように思う。まさに強いリーダーシップを持った民主主義者ではなかったのではないだろうか。

これからの維新の会、そして維新の党であるが、いまメディアでは橋下氏がいなくなった維新は求心力をなくし、急速に勢力を落としていくのではないかと言われている。しかしこの橋下氏の会見、進退などの振る舞いを見て、好感を持った市民は多いはずだ。橋下氏は来年はもういないが、この橋下氏の残した遺産はこれからの維新に対してプラスの方向へ大きく作用するのではないかと思う。この橋下氏の遺産を生かすも殺すもこれからの維新の議員の政策・実行力・決断力次第である。

ホンダジェット、いざ出陣

ホンダが開発したビジネスジェット飛行機「ホンダジェット」があと認証を待つだけとなった。認証が下りればすぐにでも顧客に納入できるみたいだ。

ホンダが飛行機産業に参入したのは29年前だそうだ。そこから研究開発を重ね納入間近になった。

ホンダジェットの売りはいくつかある。サービスサポート体制が参入直後から整っていることや、機体の値段・メンテナンスともにリーズナブルであること、そしてもちろん圧倒的な高性能だ。日本メーカーらしく、燃費もかなりいいらしい。

ところがホンダの開発者が特にこだわったところがある。それは「トイレ」だ。過去のビジネスジェットではトイレと言えば簡易トイレであり、臭いなどもかなりきつかったらしい。しかしホンダはトイレも快適性の重要な一部分だとみて、快適で本格的なトイレを設置した。この様なことができたのも室内の広さが売りのホンダジェットならではのことである。

日本の飛行機産業は戦後から長い空白期間がある。ホンダジェットにしろ、三菱航空機のMRJにしろ、一番の難点はその空白期間による経験不足だ。ホンダジェットの藤野社長はその経験不足を埋めるがごとく、海外の飛行機メーカを飛び回っていたらしい。

ビジネスジェットのホンダ、中型旅客機の三菱、この二社が世界の空の両翼になりうる日は来るのだろうか。

大阪都構想反対多数、橋下氏政界引退へ

17日、大阪都構想の是非をめぐる住民投票が行われた。その結果、反対が賛成を2%ほど上回り、大阪と構想は立ち消えすることとなった。それに伴って大阪市長の橋下徹氏は今年12月の任期満了をもって政界を引退することを表明した。

この選挙は橋下氏の振る舞いを含め、民主主義の中の民主主義を体現した選挙だと感じた。まさに市民が直接政策決定を行い、政治を動かす。負けた橋下氏は市民の世論に従って引退をする。橋下氏は7年間の政治家生活を政治家冥利に尽きると言ったが、大阪市民にとっても冥利に尽きるのではないかと思う。

住民投票はたまに行われることはあるが、このような大きな案件に関する住民投票は地方投票としては初めてではないかと思う。それだけにこのような重要な政策決定に関われた大阪市民は貴重な経験をすることができたのではないかと思う。

橋下施政は大阪府・大阪市に激動をもたらした。橋下政治は大阪市民を「考える市民」にしたのではないか。橋下氏が地方施政に大きな一石を投じたことは確かだ。また今回の住民投票が日本が確実な民主主義国家だということをも証明した。この住民投票は大阪以外の日本国民にとっても胸を張れるものだ。

とはいえ、橋下市長の任期はまだ半年以上残っていいる。橋下氏のインパクトが強かっただけに次の市長の存在感は薄くなることが予想されるが、橋下氏には残りの任期を遠慮せずに積極的に満了し、次の市長へと引き継いでもらいたいものである。

安倍首相が神戸を訪れた

16日、安倍首相が神戸を訪れていた。そのことに、神戸に住んでいる僕は日付をまたいだニュースで知った。三宮の東遊園地という阪神大震災のモニュメントがある公園を訪れたそうだが、実はその時僕も三宮に出てきていた。とんだ失敗をしてしまったものだ。

神戸の主要産業の一つに製靴産業がある。特に長田区は靴作りの街として有名だ。しかし阪神大震災では長田区一帯は大きな打撃を受け、靴作りの拠点も長田から海外へ移したメーカーが多かったみたいだ。小学二年まで長田に住んでいた僕にとって、靴作りの内職をしている人が多かったのが印象に残っている。

海外へ拠点を移した靴作りだが、震災から20年経って今、また靴作り産業の国内回帰が起こっているみたいだ。最近の長田の活況を目の当たりにしたわけではないが、長田の靴作りもにぎやかになってきているのではないかと思う。

長田の靴と言えば庶民の靴というイメージがあるが、長田に一軒の本格的ビスポーク(フルオーダーメイド)の靴屋さんのアトリエがある。そこの靴職人は海外で修業を積んで日本に帰ってきてアトリエを開いたそうだ。しかもそのマスターは僕と同じ歳だ。一度そこでビスポーク靴を作りたいと思っているが、何しろ一からオーダーメイドで作るわけだから値段も半端ない。一足で20万はくだらないのである。しかしそこで靴をオーダーメイドするのは僕の目標でもある。ちなみにそこのアトリエは男性ファッション雑誌に載るほどの腕利きだ。

安倍首相も今回神戸を訪問して、靴作りの日本回帰を実感したそうだ。今、日本はアベノミクスなどによって上向きになっていると言われている。その上昇気流に神戸の経済もうまく乗って活況を呈してほしいものである。

総務省「へんな人プログラム」について

今、総務省が「へんな人プログラム」というプロジェクトを行っている。偉大な成功者は変な人が多いということから、変な人で面白い発想を持っている人を支援しようというものだ。具体的には300万円の支援をするという。イメージモデルとしては、アップルのスティーブ・ジョブズを描いているみたいだ。しかし僕はこのプロジェクトはあまり成功しないような気がする。

そもそも「へんな人」に限っているところが悪き日本の発想だと思う。アメリカは変な人を受け入れる土壌があり、変な人から偉大な成功者が生まれている。しかしそれは変な人を支援しているからではない。構想・事業の内容が面白く、そのような構想に支援をしているから結果的に変な人が成功していると言われているだけだ。

重要なのは変な人を支援することではなく、変な人にもそうでない人にも、優れた面白い構想を持っている人には支援することだと思う。つまり、今回の日本のへんな人プログラムは外見を見て中身を見ず、ということになるのではないかと危惧する。

日本という国は変な人には生きづらい国だ。そこで国民の意識を変えるという意味では今回のプログラムは意義あるものかもしれない。このプログラムで大きな成功者が出なくても、もっと広く日本の各地で変わった成功者を生む土壌ができ、プログラムとは関係ないところから偉大な成功者が生まれるかもしれない。

安保法制に関する安倍首相の会見

14日、安保法制に関する安倍首相の会見があった。安倍首相の言いたいことを一言でまとめれば、「もう自国の安全を自国一国で守ることは不可能だ。他国、具体的には米国と連携をとりながら安保政策を進めなければならない。」というものであろう。

これに関しては日本国内では反対意見が多い。日本には憲法第九条という平和憲法が存在する。憲法第九条の存在と理念は非常に素晴らしいものだ。その理念は永久に引き継いでいかなければならない。

しかしそれと安保政策は別だ。今までは自国内のこと以外にはかかわらないで、日本の平和は何とか維持してきた。しかし国際情勢は一刻一刻変わってきている。特に中国の台頭は脅威だ。今まではアメリカが世界の警察の役割を担ってきたが、アメリカ自身もその役割から降りることを宣言し、世界の軍事力分布は多様化してきている。

何かが起きてからではなく、何かが起こる前に手を打たなければいけない。その先手を打ったのが安倍首相による安保法制の改革だ。

それから日本国内の世論を見ていて一つ憂慮すべきことがある。他国に自衛隊を派遣することが戦争につながると叫んでいる人が多くいるが、それはいかがなものかと思う。もちろん自衛隊が米国と連携したことによって直に戦争につながるなんてことは現実的でない。安倍首相は「日米同盟に隙を見せると攻撃される隙を見せることになる」と言っている。しかし僕が憂慮していることは、反論している人は安保法制を変えると日本が争いに巻き込まれることになると非難しているが、そこには他国、特に今紛争に巻き込まれている国を助けよう、世界に平和をもたらそうという思想が全く感じられない。日本一国がよければあとはどうにでもなれとでも言っているようなものである。

戦後今までは敗戦から立ち上がり、日本一国の平和だけを考えていればよかったのかもしれない。しかし今の日本は世界第三の経済大国、また自衛隊とはいえ世界有数の軍備を誇る国である。いま、そしてこれからの日本には世界の平和に貢献することが求められているのではないかと思う。そのためには一国平和主義から脱皮しなければならない。

安倍談話に向けて

約三か月後、安倍首相の談話が発表されるものと思われる。今日、社民党の福島瑞穂党首とジャーナリストの櫻井よしこさんの対談があった。そこで福島氏は20年前の村山談話と同じように「謝罪」の言葉を入れるべきだと言った。それに対し櫻井氏は、時代は刻々と変わっており安倍氏自身の言葉で語るべきだと主張した。

福島氏は謝罪の言葉を入れないと世界に間違ったメッセージを発信してしまうと主張した。しかしむしろ、無条件に謝罪ポーズをすることによって間違ったとらえられ方をされる可能性の方が高いのではないかと思う。そもそもその謝罪の相手は中国・韓国に対してだと思われる。しかしこの二国、特に韓国は何を言ってもアラを探して批判してくる相手だ。先日の安倍首相の米国議会演説に対しても全会一致で糾弾決議をしてくるような相手だ。今は何を言っても通じない。

櫻井氏の言うとおり、安倍氏が自分の言葉で日本の立場を述べることが重要だと思う。何しろ「安倍談話」なのだから。今までブログで述べてきたように、安倍首相は対外関係に関しては、感情的にならず粘り強い対処をしてきた首相だと思う。

この談話は中国・韓国だけに発するのではない。世界に対して発するのだ。現在の状況は、韓国の非難に押されている状況だ。しかし理にかなわない主張はいつか壊れるに違いない。それまで粘り強く対処できるかどうかだ。それと同時に日本も真実をありのまま発信し、間違っていることは論理を持って論破しなければならない。でないと、諸国の誤解は完全にぬぐいきれないだろう。

天野教授、埼玉知事選に立候補

自民党は埼玉県知事選挙に順天堂大学医学部の天野篤教授を擁立することを決めたみたいだ。天野医師と言えば、天皇陛下の手術で筆頭医師を務めた、その道の日本最高の執刀医師である。天皇陛下の手術を担当されてからはその名が全国的に知られるようになった。

天野教授が日本最高の医師であることは間違いないであろうが、なぜその日本最高の医師が知事選に出られるのか?もちろん本人が熟慮して考えた上のことだろうから天野医師にとやかく言うことはないが、天野医師を選挙に持ち上げようとする自民党側に疑問を抱かずに負えない。

もし天野教授を擁立するならば、天野医師のどういう所が政治に対して優れているかということなどをはっきりしてもらいたい。人間性に関してはおそらく立派な人間だと僕も思うし、天野教授の人間性を今さら言うのは天野教授に失礼かもしれない。しかし選挙に出るにあたっては他の候補と同じように人とがらをしっかり示さなければならない。

天野教授に対することはさておいて、擁立する自民党側に関してだが、ただ単に有名だから、イメージがいいからという理由だけならやめてもらいたい。それで過去には日本の政治は様々な損失をしてきた。ホリエモンの例は記憶に新しい。

天野医師が政治家に転身することには、医学界に対してすごく大きな損失にならないかと心配する。天野医師の腕を必要とする患者さんも多いはずだ。しかし何はともあれもし当選した暁には知事職を立派に遂行してもらえることを望む。

鉄道の安全神話

最近に始まったことではないが、頻繁に日本の鉄道の、特に新幹線の安全神話が話題になる。以前に一度ブログで、新幹線の安全神話に関して、阪神大震災の際の無事故は幸運に幸運が重なってできたことだと言った。確かに新幹線は今まで死亡事故が一件も起きてない。しかしこのように鉄道の安全性について新幹線と在来線を分けて考えることは本当に妥当なのだろうか?

言うまでもないが約10年前、福知山線脱線事故によって100人を超える死者を出している。ここまで大きな事故ではないにいしても定期的に事故のニュースは流れ、最近だと山手線の支柱が倒れたことが記憶に新しい。

僕は思う。新幹線と在来線を合わせたすべてのトラブルの総合が、日本の鉄道の安全性の実力なのだと。新幹線死亡事故ゼロという看板に盲目になってはいないだろうか?そもそも日本には新幹線より在来線の数の方が圧倒的に多いのだから。

もちろん、日本の鉄道そのものを否定するわけではない。新幹線に限らず在来線も含めて日本の鉄道システムは世界に比類なきものである。日本の鉄道が世界に誇るべきものはたくさんある。もちろん在来線の安全性に関しても世界から見ればかなり高水準の安全を維持しているのかもしれない。

しかし僕が一つ気になっていることがある。新幹線の安全性をはじめとする最先端技術が在来線にフルにフィードバックされているのかということである。新幹線の安全性と在来線の安全性及び技術がかい離しすぎてないだろうか。日本の鉄道産業が、新幹線と在来線に分離しているように思える。

これからの在来線開発の現場に新幹線技術をフルに利用しようという視点をもって開発すれば、在来線のシステム・安全性は飛躍的に向上するように思える。どうしても最先端である新幹線技術に注目が浴びてしまうところだが、われわれ一般人も在来線技術にももう少し注目してみてはどうかと思う。